POOHの世間話コーナー

ウッドストックに行ってきました/その3

 

 アーティ・トラウムの家に戻りましたが、ジョン・ヘラルドはまだ来てなくて「暑かったでしょう。フルーツ・ジュースでもどう?」とビヴァリーが出してくれたジュースを飲みました。アーティはビヴァリーにベアズヴィル・スタジオ訪問の話をし終わると「POOH、この9月にリリースする僕の新しいアコースティック・ギター・アルバムをリヴィング・ルームで聴くかい?」と言いました。「是非とも。今度も全曲インスゥルメンタル?」「ああ、例によってトニー・レヴィンとか僕のミュージシャン仲間が参加してくれてるけど、ソロ・ギターの曲も入ってるよ。アルバム・タイトルは『THE LAST ROMANTIC』っていうんだ」との事。最近のアーティらしい(恐らく大半はDADGADチューニングによるものと思われるギターで作曲された)親しみ易いメロディー満載といった感じの、そのリリース前の新譜をアーティの話も聞きながら、2人で暫く聴いていると、電話のベル。ビヴァリーが出た短い電話の相手はジョン・ヘラルドだったようで「ジョニーが今からスグに家を出るんですって」と台所からの声。「OK。分かったよ」とアーティ。それから、レコード会社から送られた『THE LAST ROMANTIC』ジャケット・デザインの試し刷りを見せてもらったりしてると、ビヴァリーが「ジョニーが来たわ!」と声をあげ、我々は玄関に。

 (マッド・エイカーズのコンサートで日本に来た時以来だから)24年ぶりに会ったジョン・ヘラルドは、真っ黒だった髪はグレーになっているけれど、相変わらずスマートで元気そう。「お会いできて嬉しいです」「POOH、キミの事はよく憶えているよ。随分痩せたんじゃないかい」「ええ、昔はかなり太ってました」「それに、確かオーヴァーオールのジーンズを来てたね。僕等がマッド・エイカーズのツアーで京都にいる間、キミとそんなに話する時間は無かったと思うけれど、POOHはいつもニコニコしていたね。そんな印象がある」と聞いて、彼の記憶力の確かさにビックリ。当時はオーヴァーオールのジーンズを何本も持っていて、毎日まるでユニフォームのように着ていた私です。マッド・エイカーズのコンサート当日と京都観光で彼等は京都に2日間滞在していたのですが、その間のオフの時間も私は主にビル・キースと行動を共にしていました。「是非ともPOOHのレコード店に行きたい」と言って(当時、河原町今出川にあった)プー横丁に来てくれたのもハッピー・トラウムとビル・キースとジム・ルーニーの3人で、ジョンは他のメンバー皆んなが観光に出た時も1人ホテル(小さな日本庭園のある和風旅館でした)に居残っていたようでした。唯一、オフの日の夜になって(多分)全員でライヴ・ハウスの『拾得』へ行った時、たまたま同じテーブルに隣り合わせで座った瞬間があった時にジョンが「POOHはいつもニコニコしているね」と言ったのが凄く印象的で、他にも話したかも知れませんが、私の記憶に残っているジョンの言葉は殆ど「その一言」だけじゃないかという程だったんですが、24年後に再び同じ事を言われて驚きました。「凄い記憶力ですね」「いや、昔の事だけだよ。最近の事はすぐに忘れる」「僕も同じですよ」などと言い合いながら、ジョンは最近の活動ぶりについて話してくれました。近年のボブ・ディランのアルバムに絡んで1960年代のフォーク・ムーヴメント関連の記事が音楽専門誌だけでなく、一般雑誌でも特集される事も結構あるとの事で、ジョンとディランが一緒に歌っている写真が複数の雑誌に掲載されていて、その雑誌や関係記事を日本から来た珍客に見せる為に彼はわざわざ持って来てくれていたのでした。イギリスで録音され、スライス・オブ・ライフで国内盤をリリースしたジョンの最新作『ロール・オン・ジョン(ROLL ON JOHN)』を聴いても判る通り、彼のヴォーカルやギター・プレイは全く衰えてないどころか、それらが70年代の輝きを今も放っているのは驚異的ですらある訳で、日本に来てコンサートをやってほしいなぁとつくづく思いました。どなたか招聘してくれないものでしょうか。

 ジョンが帰った後、今夜のガース・ハドスンのコンサート(午後9時の開演。欧米ではこれが普通の開演時間です)までの予定をアーティが説明してくれました。これから、ハッピーが奥さんのジェーンと一緒に経営しているホームスパンのオフィスに行って、アーティは私を置いて一旦帰宅し、少し残ってる用事を済ませるとか。私はオフィス内を見学した後、ハッピーとジェーンと共に彼等がこれから予約するレストランへ。その場所でアーティとビヴァリーも合流。皆んなで夕食をとってからベアーズヴィル・シアターに行くという事でした。

 で、再び車に乗って、アーティと私はホームスパンのオフィスに向かったのです。ホームスパンのオフィスは2階建ての木造で、森の中に建った「とても大きな小屋」という感じ。別に通りから目立つ大きな看板がある訳でもないので、出入口のドアの前まで行かないと判りません。派手か地味かという事であれば、外観はとても地味。ところが、一歩中に入ると白を基調にした廊下の壁や天井がずっと続いていて、床も明るい色調で本当に清潔で綺麗なオフィス・ビルの内部という雰囲気。2階の奥に2部屋並んである社長室(左の部屋がハッピーので、右の方がジェーン)があります。ジェーンが2階の他の部屋を案内し、ホームスパンの各部門の担当者を紹介してくれます。商品の在庫部屋や出荷作業をする部屋のある地下1階に行った後、20畳くらいはあろうかというハッピーの部屋へ。「POOHは今回の滞在中にジョン・ホールとジョン・セバスチャンに会いたいって言ってたね。ジョン・ホールはツアーに出てるようだ。昨日セバスチャンにも電話して留守電メッセージを残してあるんだけど、彼から電話がない。もう1度かけてみよう」と言ってハッピーが電話の受話器をとりました。よほど頻繁にかけているのでしょう、メモも何も見ずにプッシュフォンの7ケタの番号を押しています。セバスチャンは留守だったようで「ハッピーだ。昨日も言ったように、古くからの友達が日本から来ていて、滞在中にキミに会いたいと言っている。日曜の早朝にはウッドストックを離れるので、至急電話をくれないか。ガースの今夜のコンサートに我々と一緒に行くから、キミも来れるのなら会場で会った時に紹介できると思う」というようなメッセージを残していました。それから、今夜のガース・ハドスンのコンサートの前に食事をするレストランを予約すべくハッピーがジェーンと相談しつつ、予約電話をかけました。そして、今は亡きアルバート・グロスマンが生前より経営していたというレストラン『ベア・カフェ』が当日の午後にも拘らず運良く6人用のテーブルの予約ができたので(ジェーンによるとウッドストックで1番人気の店だそう)ジェーンは凄く嬉しそう。

 熱心なロック・ファンの方ならご存じの通り、アルバート・グロスマンは1960年代からウッドストックに住み、ボブ・ディラン、ザ・バンド、ピーター・ポール&マリー、ジャニス・ジョップリン、そしてハッピー&アーティ・トラウム等、多くのアーティストのマネージメントをした辣腕マネージャーとして有名な人であり、ベアーズヴィル・スタジオやベアーズヴィル・シアターを作るなど、ウッドストックの音楽シーンに大きく寄与した人でもありました。亡くなってからは奥さんのサリー・グロスマンが多くの事を引き継いでいるとの事ですが、そのレストランだけでなく、その他にも幾つもの土地や建物を今なお所有しているそうです。で、その日の仕事を切り上げたハッピーとジェーンと私はハッピーの車で一旦ハッピーの自宅へ行きました。家の周囲には広い庭があり、裏手から奥はそのまま森に続く、周囲の木々の緑とマッチした木造2階建ての大きな家です。2階のゲスト・ルームに案内され、荷物を置いて少し休憩してから、我々3人は車で『ベア・カフェ』へ。テーブルにつくと、暫くしてアーティとビヴァリーもやって来ました。めいめいに料理をオーダーし、食事し始めると程なく私の背後から「やあやあ」という男性の声。歳の頃なら30代後半から40代前半くらい。ハッピーやアーティも親し気に応対しています。話を聞いていると、彼は今夜のガース・ハドスンのコンサートのパブリシティ(宣伝・広報)を担当している人だそうで、つい先ほどリハーサルも終わり準備万端との事。アーティが彼に私を紹介してくれ「POOHは今夜のガースのコンサートを観る為だけにはるばる日本から来たんだよ」と言うと「本当に? そいつはグレイトだ」とミスター・パブリシティ。

 実は、私が今回ウッドストック行きを決めた後に、悲しい(というか残念な)ニュースを聞きました。ガース・ハドスンは、同月に破産宣告を受けたというのです。たまたま「ガースのコンサートを見に行きます」とお話したら「ご存じかもしれませんが、最近インターネットのニュースでこんな記事を見ました。驚いています」と教えて下さった方がいて、その時は日本を発つ数日前で「一体どうなんねん。その為に行くのに、行ったら『都合によりコンサートは中止』なんてシャレにならへんゾ」と不安に思いましたが、現地に確認したら、とにかくコンサートは行なわれるとの事だったのです。皆んなもその事は充分知っているので誰ともなく「で、ガースは元気にしてるのかい」と彼に訊きました。「ああ、とても元気だ。今夜はきっと素晴らしいコンサートになるだろう」と笑顔で応えた彼。何でも彼はナッシュヴィルでヴィンス・ギルをはじめ、カントリー系アーティストのパブリシティを主な仕事にしているらしいのですが、ザ・バンドが好きでガースが好きで、ソロ・アルバムのお披露目コンサートの事を知って、同コンサートのパブリシティを自ら引き受けたのだそうです。

 それから、レストランを出た我々5人。私とジェーンはハッピーの運転する車でベアズヴィル・シアターへ。アーティとビヴァリーは「今夜は最近にないくらい冷え込むようなので、もう1枚上に着る物を取ってくる」と言って、一旦自宅に戻る事に。 開場にはまだ少し時間があり、入り口に並び始めた人の列に我々3人も続きました。さっきレストランに入った時よりもぐっと温度が下がり、湿気を帯びた外気が涼しいのを通り越して肌に冷たく感じます。「先週までは日中カンカン照りで、夜もこんなに寒くなかったんだけど...」とハッピー。列に並びながら暫く立ち話をしていると、見るまに開場を待つ列が長くなっていきました。アーティがやって来て「POOHも寒いだろうと思って家からセーターを持って来たよ。よかったら着たらいい、僕のお古だけど」 「ありがとう」とお礼を言って、そのセーターを着ました。セーターが体に暖かく、アーティの親切が心に暖かく感じました。予定より10分くらい遅れて開場。あと30分後にはガース・ハドスンのコンサートが始まるんです。はやる心を押さえながら、ベアズヴィル・シアターの中に入りました。

 

「ウッドストックに行ってきました/その4」

 

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