ナム・ショウに行ってきました 2001年1月 その5

 前のページに戻る

《カッコ良かったスティーヴ・ヤング》

スティーヴ・ヤングとは、昨年イギリス在住の友人を通じて連絡先を知り、メールをやりとりしていたのですが、NAMMに行くことになったと知らせたら「じゃあ会おう」と言ってくれ、日本を発つ前に会う時間まで決めてたんですが、ホテルの部屋に戻ってからも「大丈夫かなぁ。本当に来るのかなぁ」と思いつつ待ってたら、電話が鳴って「10分ほど遅れた。今ロビーに居る」と彼の声。それが午後9時過ぎ。ロビーに行くと99年の最新盤『PRIMAL YOUNG』の中ジャケの写真そのままの、オールバックのスティーヴ・ヤングがそこに居ました。感激。「POOHです。お会いできて本当に嬉しいです」「私もだよ」と言った彼の、ロビー中に響きわたる深みのある低音は、まさしくスティーヴ・ヤングの声でした。「サインをお願いしていいですか」「もちろん」と、彼は私が持参した『PRIMAL YOUNG』のCDと『ROCK, SALT & NAILS』の国内盤LPと『RENAGADE PICKER』の輸入盤LPに、それぞれにサインをしてくれました。私は何てミーハーなんでしょう。オリジナル盤LPと比較すると全体的に少しコントラストがきつい(というか、より明るい色調になっている)『ROCK, SALT & NAILS』国内盤の表ジャケットをスティーヴはまじまじと眺めて「この方が良いなぁ。今度アメリカでCDがリイシューする機会には、こんな感じでやってもらおうかな」なんて言ってました。それから、彼の愛車の赤いBMWに乗せてもらって夜のダウンタウンに向かいました。カリフォルニアに来るのは今回が初めてだというのは知らせてあったので「ダウンタウンまではフリーウェイと普通の道路とPOOHはどっちを通って行きたい?」と訊かれたので「僕はガイ・クラークも好きだからL.A.フリーウェイ」と答えた時の、ニヤリと笑ったスティーヴのその横顔のカッコ良かったこと。リトル・トーキョーの日本レストラン(というか大衆食堂っぽいところ)で海老の天プラ定食みたいなのを食べ(彼も同じ物を注文。箸も上手に使ってました)、彼のガイドでリトル・トーキョーを少し散歩したり、車でダウンタウンの他の地区に行ったりした後、再びホテルに戻ってロビーのソファーに腰を掛けて話を続け、結局午前2時半まで一緒に居ました。『PRIMAL YOUNG』で参加してるヴァン・ダイク・パークスは、凄く古い付き合いで仲が良くて「でも、彼はかなりのインテリでね、いつも難しい話をするんだ、私のような男にはよく理解できない話をね、ハハハ」とか、元々は三拍子なのを四拍子にアレンジしてイーグルスが歌ってるヴァージョンの「Seven Bridges Road」は「それほど好きじゃない」とか、「バーニー・レドンは知ってるけれど、他のイーグルスのメンバーには会った事もない」と言っていました。「Seven Bridges Road」をアルバムでカヴァーする前にイーグルスのメンバーから「その旨の連絡はなかったんですか?」と訊くと「確か彼等のマネージメント・オフィスからの連絡があったような気がする。でもメンバーからは無かった」との事。ジェフ・マルダーとも昔からの友達で「ジェフが来月から日本に行くってのは本人から聞いてる」「ホームスパンから彼のギター教則ビデオがもうすぐ発売されるんだが、ジェフは私のギター教則ビデオも作るべきだって勧めるんだよ」などとも。1、2度「僕は構わないんですが、こんなに遅くなって疲れていませんか?」と確認したのですが「いや、何度かPOOHにも言ってるように、私はヴァンパイアのように夜になると活動的になる毎日を送ってるのでね。全く大丈夫だ」との事。彼も本当に好人物で「お金の事は二の次でいいから、私の歌を熱心に聴いてくれる人たちの前で歌いたい。ホーム・コンサートみたいな形でも良いので、日本で近い将来に歌えれば嬉しいんだが....」と言っていました。午前2時半近くになって「明日は早朝に空港に行って搭乗手続きしないといけないってさっき言ってたね。ボチボチ帰ろうかな。もっとPOOHが話したい事や質問があるなら、私の方はちっとも構わないんだが...」と言われ、ホテルに戻って来てからも3時間近く何も飲まずに話しっぱなしで、ノドがカラカラ(「そんなになるまでしやべり続けるなっつーの」)になって、話し疲れたという状態で、「明日の朝(というか今朝)寝過ごして帰りの飛行機に間に合わなくなる事がチラッと頭に浮かんだので「僕も少し仮眠をとります。長いこと時間を割いてくれてどうもありがとう。近いうちにまた会いたいですね。できれば、あなたのツアー中の日本で」というと「私もそう願っている。See you soon」とニッコリ笑い、彼は再び真っ赤なBMWに乗って帰りました。

 それからは、少しの仮眠をとったあと目覚ましで起こされ、L.A.の空港から再び私は往時と同じ窮屈なエコノミー・クラスのシートに座り、10何時間の空の旅を経て、「時差ボケと共に」日本に戻って来たのでした。

 たった5日ほどの間に多くのミュージシャンや業界関係者と会いました。こういうトレード・ショウの期間中は短期間に色んな人達と会う事になるので、本当に毎日目まぐるしく忙しいのですが、まとまった時間をとるのが難しい中、ハッピーとアーティとは各々の奥方と共に食事をしたりしながら久しぶりで話しする機会が持てたので良かったです。又、最初の3日間、全面的に面倒みてくれたジーン・パースンズとメリッディアン・グリーンには本当に感謝、感謝であります。それに長年の付き合いながら、実際には会った事のなかったピエール・ベンスーザンやリック・ラスキン、クリス・プロクターともようやく会えたのも嬉しかったです。

 

 

 

世間話の目次に戻る

プー横丁のトップページへ