ナム・ショウに行ってきました 2001年1月 その3

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《3日目の夜、P・フィンガー達との再会》

翌日の土曜日は例のテイラ−・ギターのステージでお昼の12時からアーティ・トラウムがCPR(デヴィッド・クロスビーが98年に組んだ新バンド)のメンバーでギタリストのジェフ・ピーヴァー(Jeff Pevar)とトニー・レヴィンの2人をゲストに招いてのコンサート。客席は一杯です。2人ともアーティの次回作に参加している(追記: 2001年9月に出た『THE LAST ROMANCE』というアコースティック・ギター・アルバムではなく、この時点ではまだ発売日が決まっていなかったヴォーカル・アルバム『SOUTH OF LAFAYETTE』の事。既に2002年にリリースされましたが、完成したアルバムにはトニー・レヴィンは参加していますが、ジェフ・ピーヴァーの名前はありませんでした)との事で、そのアルバムの中の作品を中心に演奏されました。J・ピーヴァーもT・レヴィンも「プロ中のプロ」の演奏を聴かせてくれ、アーティも安心して任せているという感じ。コンサートの後、キング・クリムズン・ファンと思われる何組かの若いファン達に囲まれ続けているT・レヴィンとは話できなかったのですが、アーティがジェフを紹介してくれました。実はジェフとはその1年ほど前から連絡を取り合っていましたが、勿論NAMMショウに彼が来るとは思っていなかったので、私が行く事は知らせていませんでした。「やぁ、POOH。会えて嬉しいよ」なんて2メートル近い長身のジェフが満面の笑顔で挨拶してくれ、CPRの新譜『JUST LIKE GRAVITY』のレコーディングの事とかを少し話しました。それから、アーティと奥方のビヴァリ−と近くのレストランで昼食を共にし、スライス・オブ・ライフから発売のトム・アクステンスのアルバムの事を初め、四方山の話をしました。テイラ−のブースに戻ったら、程なくウェンディ・ウォルドマンとケニー・エドワーズのデュオが始まりました。2人のアコースティック・ギターのみのバックで歌われるウェンディのヴォーカルは聴く者を圧倒します。ケニーのハーモニー・ヴォーカルと、シンプルだけど歌心あふれるギターも素晴らしく、30分のステージはアッという間に終わりました。勿論、彼等が演奏する事は、今回ここに来るまで知らなかったのですが、ステージを降りて多くのファンの人に囲まれ、なかなか近付けません。しばらく待って、人垣が無くなったところでウェンディに話かけました。「日本から来ました。あなたが70年代初め(73年)にワーナ−から発表した『LOVE HAS GOT ME』のLPは私のフェイヴァリット・アルバムの1つです」「まぁ、ずいぶん昔から私の音楽を聴いて下さっているのね。何ていうお名前?(と、他の参加者同様、私も胸のポケットに付けている名札を見て)POOH?」「POOHは勿論ニックネームです。えーッと、ニュー・グラス・リヴァイヴァルがキャピトルから出したアルバムはあなたがプロデュースされてましたね。あのアルバムは彼等のフライング・フィッシュやシュガー・ヒルでのアルバム同様、とても好きです。もうすぐ、CDで再々発売されるんですよね」「ニュー・グラス・リヴァイヴァル、とっても素晴らしいグループだったわ」「それにジョン・カウワンの最新盤も貴方のプロデュースで。良いアルバムですね。何度も聴いてますよ」「ありがとう。実は、ジョンとはもう1枚アルバムを作ろうとしていて、その件で今日もこれからスグにナッシュヴィルに戻らないといけないの」なんて話をしてると、アーティが寄ってきて「POOHは昔からの友達なんだ。今度スライス・オブ・ライフっていう名前のレーベルを立ち上げてね、ハッピーが以前リリースしてたアルバムもスライス・オブ・ライフが日本でリイシュ−するんだよ」「まぁ素敵じゃない」なんて感じで、ウェンディは大変チャーミングな人で、終止にこやかに応対してくれました。

この日(土曜)の夜には近くのアナハイム・ヒルトン・ホテルの大ホールで『オール・スター・ギター・ナイト』というコンサートがありました。ピーター・フィンガー、フランコ・モローネ、ジャック・ストッツェム等ヨーロッパからのギタリスト達が、この夜のコンサートの為に顔を揃えたのです。本番の1時間余り前に控え室に行ってみましたが、誰も居ません。リハーサル中のステージを覗くと、デヴィッド・グリスマンの『DAWG DUOS』の中でプレイしてる天才少年ジャズ・ギタリスト、ジュリアン・レイジ(Julian Lage)がサウンド・チェックをしていました。とても10代前半には思えないプレイですが、リハーサルが終わると父親らしき人と手をつないでその場を離れました。その様子の子供っぽいこと。それから、控え室に戻るとジャックと奥さんのギャビーが居ました。「やぁ久しぶり」という感じで挨拶。ピーター・フィンガーと奥さんのオディールはフランコ・モローネと食事に行ったとか。ほどなく「お腹一杯だぁ」という感じで戻って来たピーター達3人も含め、皆んなでワイワイ話してると、フランコが控え室のアーティスト用にテーブルの上に並べてある食べ物(サンドイッチやオードブルやクッキー)をつまみ始めました。「今、食べて来たばかりじゃないか。どんな食欲だ」と言って呆れているピーター。「いや、さっき少しセーブして食べたから」なんて飄々としているフランコ。そして皆んなで大笑い。私は開場時間が近付いたので会場ロビーに戻りました。ロビーでイサトさんに会い、それから一緒に会場内へ。会場内部はホテル内とはいえ、並べられたパイプ椅子から察するに1000名以上が楽に入れる凄く広いスペースです。で、イサト氏から聞いていた通り、エド・ガ−ハードが奥さんのケリーと共にやって来ました。出入口からさほど離れていない場所に我々は座っていたので、イサトさんは目敏く彼等を見つけて素早く近付き、我々は4人並んでコンサートを見ました。当夜のコンサート・イヴェントは『オール・スター・ギター・ナイト』だけでなく、その後に前述のジュリアン・レイジやラリー・コリエル、マーク・イーガン等、ジャズやロック系のミュージシャンも登場する『BIG BANG』というのと2部構成になっていました。『オール・スター・ギター・ナイト』も各ギタリスト1曲だけで、顔見せ的な感じが強いものでした。1部が終わって我々4人は、楽屋から出てくるピーター達を待ちました。(ジュリアン・レイジやラリー・コリエルが見れるチャンスではありましたが、それよりも)皆んなで一緒に食事しようと考えた訳です。結局、ピーター・フィンガー夫妻とジャック・ストッツェム夫妻は疲れていて、そのままホテルに戻る事になりましたが、その他のメンバー(フランコとエドとケリー、イサト氏と私)、それに『オール・スター・ギター・ナイト』にも出演したイタリア人ギタリスト、パウロ・ジオダーノ(Paolo Giordano)と、やはりイタリア人でコンサート・プロモーターのアレッシオ・アンブローシという男性、総勢7名で、近くのホテルのレストランで遅い夕食を共にしました。フランコ同様、パウロとアレッシオの2人とも話し好きで、イタリアなまりの英語で身ぶり手ぶりを交えて話しまくります。パウロはタッピングやハーモニックスを多用したブルースやケルティック風味のオリジナル作品を収録したアルバムを2枚(※)リリースしていて、スキンヘッドの頭に人なつっこい目と笑顔が印象的な好人物。アレッシオの方は、いかにもビジネスマンという感じで、話題も音楽そのものより「音楽業界」の事が多いように思いました。で、皆んでワァワァ言って盛り上がり、食事が終わってからも、飲みに行こうという事になり、ホテル内のバーへ。そこで、ビールを注文した私は疲れてもいたからでしょうか、1杯飲んだだけですぐに酔って眠くなってしまい、その時は色々相づちをうっていたと思いますが、今思い出せる事は殆ど無いのです。皆んなと泊まってるホテルの方角が私だけ違っていて、別れる間際にイサトさんから「明日、ピーターやフランコは早くに帰ってしまうけど、エドとケリーにパウロとアレッシオは夜まで居るんで、ディズニーランドの近くに美味しい日本料理の店があるから、アナハイム最後の夜やし、僕とプーさんで彼等を招待してあげませんか? 」という話がありました。「良いですね、そうしましょう」というような返事をして、ホテルまで歩いて帰って、バタンキュー。

 

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(※)パウロ・ジオダーノ(Paolo Giordano)のCDはギター新譜 CDで紹介しています。