POOH'S NEWS

 

3月下旬、トーマス・リーブのコンサートに行ってきた。
トーマスは、オーストリア生まれで現在は米国カリフォルニア住んでいるフィンガースタイル・ギタリストだ。
同じカリフォルニア在住の日本人ギタリストでトーマスとは同じ音楽学校の仲間だったという
黒澤豪(Goh Kurosawa)さんとの日本ツアーでの京都公演があった嵐山にあるライブレストラン「音や」さんは
私も初めてお邪魔するところだが、3年ほど前からオープンされているとのことだった。
アット・ホームな雰囲気の中で聴くトーマス・リーブと黒澤豪さんのギター・プレイ。
特にトーマスの演奏は、切れ味するどいタッピングや正確無比なハーモニックスといったテクニック面だけでなく、
オリジナル作品の見事さやカヴァー作品での優れたアレンジも含め、素晴らしかった。

トーマスは、来日ツアー直前にアンディ・マッキーとのコンサート・ツアーもアメリカで行ったそうで
「アンディは最高のギタリストだと思う。10代の頃に聴いていた音楽もよく似ていて音楽の話も大抵は合うんだけれど、
アンディは僕の嫌いな80年代に流行ったクダらないポップスのヒット曲も好きだったりするので困るよ」などと
悪口めいてギャグにするほどアンディとは本当に仲良しのようで、
ほぼ同年輩の彼等2人やトレース・バンディ、アントワン・デュフォーたちは、
まさに「マイケル・ヘッジス以降」の世代。ドン・ロスやプレストン・リードを通じて
マイケル・ヘッジスの存在を知った世代といえるだろう。
「新たなフィンガースタイル・ギター音楽の旗手」を印象づける素晴らしいライヴだった。

トーマス・リーブと黒澤豪さん

2006年もあと残りわずか。
今年はハッピー&アーティ・トラウムのアルバム『未発表ライヴ集』のことで
8月以降は目の回るような忙しさだった。
アルバム発売から1ヶ月後に始まった26年ぶりの来日ツアーも11月上旬にあり、
集客を心配していたそのコンサート・ツアーも多くの方のご協力や応援も頂き、
各会場とも大勢の音楽ファンの方々にお越し頂け、本当に嬉しかった。
そんな余韻も覚めやらぬうち、アッという間に暮れを迎えてしまった。

今年1年、プー横丁に直接お越し下さった方やメールなどで近況をお知らせ下さるお客様から
「最近ようやく自由な時間ができるようになったので、
しまってあった楽器を久しぶりにケースから出してまた弾き始めています」
といったお話をよくお聞きする。
年齢を重ねても、好きな音楽に熱中できるというのは素敵な事だと思う。
しばらく離れていた為、そのシーンに疎くなったというような方にも
アーティストやCDのご紹介をしていきたいと思う。

来年もどうぞ宜しくお願いします。
皆さん、どうぞ良いお年を。(2006年12月28日)
                                                                 

皆さん、どうぞ良いお年を。

皆さん、どうぞ良いお年を。

アッという間に蒸し暑い京都の夏が終わり、もう10月。京の町は、すっかり秋になった。
この2ヶ月、本当に短かかった。というのも、プー横丁が2001年に立ち上げたインディ・レーベル、
スライス・オブ・ライフの新譜としてハッピー&アーティ・トラウムの『未発表ライヴ集』というアルバムを
10月1日に発売すべく、その準備の最終段階の作業をやっていたからだ。

ザ・バンドのリヴォン・ヘルムに「ウッドストックの音楽社会における要のような存在」と言われた
ハッピー&アーティ・トラウム。
現在もウッドストックに住む彼等は、地元ウッドストックでは知らぬ者のない有名人であり、
音楽コミュニティの中心人物で、多くのミュージシャンから慕われ、尊敬されている。
そのハッピー&アーティの70年代から80年代の幾つものコンサートからの発掘ライヴ音源から
ベスト・トラックを選んで作ったアルバムが『未発表ライヴ集』だ。
音源を集める作業を開始したのが、今から3年前の2003年。
その中からベスト・トラックを選ぶ作業や、その後のアメリカでのミックスダウンやマスタリング
(エリック・カズの『1000年の悲しみ』を担当したトム・マーク氏に今回もお願いした)、
ジャケットやブックレット用の写真を集める作業やアルバム・デザインなど、
大勢の方々の協力を頂いて遂にリリースの運びとなった。
ライヴの曲目が決定した後で、ハッピーとアーティからの提案でニュー・レコーディングも
3曲スタジオ録音してボーナス・トラックとして入れようという事になったり、
アルバムの表紙に使う写真を決めるのに苦労したり...。
本作の発売に合わせた来日ツアーの話を招聘元のトムス・キャビンさんと相談したり、
その他もろもろ色々とあったので、完成までに足かけ4年かかった。
「嬉しい」というよりも、ホッとしているというのが実感だ。

昨日、10月1日にハッピー&アーティ・トラウムの『未発表ライヴ集』は予定通り発売された。
あとは、この『未発表ライヴ集』が、あの頃のロックが好きな昔からのファンの皆さんや
若い音楽ファンの方々に1人でも多く聴いて頂ける事を願うばかりだ。

それにしても、気になるのは彼等の来日ツアーだ。何しろ25年ぶり。
当時の彼等の音楽を熱心に聴いていた音楽ファンの皆さんやザ・バンドやボブ・ディランを通じて
彼等の存在を知った若いファンの皆さんに今回の来日の情報が
ちゃんと来日までに伝えられるのかどうか心配だ。
『未発表ライヴ集』の解説の中で鈴木カツさんは、このアルバムの事を
「ハッピー&アーティ・トラウムの『ロスト・テープの発見!』と大袈裟に叫んでもいいくらいの
内容を備えた作品集。ウッドストック・ロック・ファンとしては絶対に見逃せないアルバムの登場だ」
と言い表わして下さっているが、彼等の来日は、本当に見逃したら「一生後悔モノ」の出来事だと、
ファンの1人として私は思う。
皆さん、是非とも各会場に足をお運び下さい。

今、頭の中はハッピー&アーティの事で一杯だ。
『未発表ライヴ集』を多くの皆さんに聴いて頂けて、彼等のツアーにお客さんが沢山来て下されば、
こんな幸せなことはない。(2006年10月2日)

CDについてはこちら
来日公演については
こちら 

ハッピー&アーティ・トラウムの『未発表ライヴ集』

この3ヶ月間は、住出勝則さんの新譜や岸部眞明さんの『Recollection』のタブ譜が発売されたり、
ジョン・ミラーの新譜CD『DECEIVING BLUES』やトミー・エマニュエル『ENDLESS ROAD』のタブ譜と
新しいライヴDVDも発売され、プー横丁にとっては「目玉商品」がどっと一度に入荷したので、
大わらわの3ヶ月間であった。
4月中旬にはジョイント・コンサートを終えた小川倫生くんと下山亮平くんが遊びに来てくれたし、
インターネットをご覧になって直接ご来店頂いた方も多かった。
今日はこの3ヶ月間にご来店頂いた方で印象的な3人のお客様の事を書きたいと思う。
お1人は、FM802でオン・エアされたわたなべゆうさんのCDを買いに来られた方。
京都市内でフランス料理店を経営されていて、いつも店内でアコースティック・ギターの
CDをかけていらっしゃるそうだ。
もうお1人は、私もハッキリお顔を覚えている大学生時代から
デヴィッド・グリスマンの大ファンだった方。久しぶりにお会いしたが、
スッカリ社会人になられていた。
そして最後は、インターネットで今の場所に移ったのを知って久しぶりに来て下さった方で
この方が初めてプー横丁を知ったのは、何と高校生の時(15年程前)、
北海道から修学旅行で京都に訪れた時だったそうだ。
その他にも出張や旅行のついでに立ち寄って下さった方々もいらっしゃり、
皆さん、昔を懐かしんだり楽しそうに商品を手に取って下さっていた。
まだまだ暑い日が続きそうだが、ガンバッて仕事せねば。(2006年7月28日) 

小川倫生くんと下山亮平くん            

元ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャンが4月初旬に来日した。
東京で行われたフリッツ・リッチモンドのトリビュート・コンサートに
ジェフ・マルダーやジム・クウェスキン等と共に出演した後
ジョンは、奥さんのキャサリーンさんと数日間を京都で過ごした。

で、滞在中の2人を京都観光に連れて行った。
同じウッドストックの住人でジョンとは30年来の親友であるハッピー・トラウムを通じて
彼等が京都にいる時のお世話をする約束になっていたのだ。
彼等が行きたがっていた清水寺から円山公園を案内したのだが、
特に清水の舞台から見下ろした一面の桜の景色は本当に綺麗だった。
快晴の中、満開の桜をこんなにゆったりとした気分で見るのは何年ぶりだろうか。

一緒に歩きながら「Great!!」「Fabulous!!」「Fantastic!!」を連発するセバスチャン夫妻。
写真家としても長いキャリアのキャサリーンさんはずっしりと重そうなカメラを持ち歩いていて、
幾度もフィルムを交換しては京の町並みや草花を撮りまくっていた。

「Do You Believe In Magic」「Summer In The City」「Welcome Back」等々、
数々のヒット曲を世に出したシンガー・ソングライター、ジョン・セバスチャンだけれど、
ステージを離れたオフの日、共に過ごした彼はアーティスト然としたような気取ったところなど全くなく、
ユーモアを交えながらのゆったりとした話し方が印象的だった。

私は東京でのトリビュート・コンサートは残念ながら行けなかったが、
ジム・クウェスキンのソロ・ツアーの京都公演に行った。
ジョンがゲスト出演するのは急遽決まったことらしく、前もっての告知なし。
だから、会場である磔磔に集まったお客さんは突然のサプライズ・ゲストの登場に
文字通り驚き、そして大喜びしていた。
ジョンはジムのサポート役に徹していたが、それでも彼の愛用のギブスン・ギターやハーモニカの演奏は、
とても味わい深いものだった。
近い将来、是非ともジョン自身のコンサート・ツアーが実現してくれる事を願っている。(2006年4月9日) 

 清水寺の茶店でみたらし団子を食べるジョン

先週の水曜日、フィンガースタイル・ギタリストの住出勝則さんとドン・アルダーがプー横丁に来訪。
住出さんとドンは2005年台湾でのツアーで初めて会って意気投合したそうで、住出さんがカナダから
ドンを招いて実現したのが「GROOVE BROTHERS TOUR 2006」という2人による今回の日本ツアーだ。

3月17日、吹田の「5th-Street」で行われたツアー初日の大阪公演は、
2人がそれぞれキッチリとプロのソロ・パフォーマンスを披露してくれた見応えのあるライヴだった。
個人的には住出さんが5月に発売される新譜『YOU ARE GOLD』から幾つもの新曲を
プレイしてくれたのが嬉しかった。

その後、名古屋・神戸・東京・栃木と回って一旦関西に戻り、
ツアー中で唯一の休日だった22日の水曜日を京都で過ごす事になり、
昼間の市内観光を終えてからプー横丁に立ち寄ってくれたという訳だ。
さすがに2人とも「休日モード」になっていて、リラックスしている様子。
やや緊張気味だった初日コンサートの時とは、表情が随分違う。
ドンにとっては初めての日本ツアーで、休日を京都で過ごせた事が嬉しかったようだ。
清水寺や八坂神社にも行ったらしいけれど、一番喜んだのは錦市場だったとの事。
そういえば、プー横丁に来た時もその時の買い物のビニール袋を幾つも下げてきていた。

ドンと住出さんがプー横丁に来た時、フィンガースタイル・ギター音楽が大好きな
常連さんのAくんが偶然遊びに来ていた。
彼はプロ・ミュージシャンとの「ラッキーな遭遇」に大喜びだった。
ドンは店内のアコースティック・ギターのCDコーナーを見まわして一言。「ナイス・セレクション!!」。
目ざとくアレックス・ホートン(Alex Houghton)のアルバム『CAMOUFLAGE』を手に取って
「これは彼女の新作?」などと訊くので「いや、これは『HAPPYBODY』よりも以前の
95年に発売された彼女の自主制作盤ですよ」と答えると
「知らなかった。彼女は今妊娠中でね。もうすぐベイビーが生まれるよ」との事。

それから、ドンと住出さんと私の3人は近くのレストランで夕食を共にしながら、よもやま話に花が咲いた。
今回とは逆に、ドンが住出さんを招いて2人のカナダ・ツアーを実現する、という事も将来あるだろう。
その事をドンに訊ねると「勿論、是非やりたいと思う」とのこと。
住出さんには、日本国内だけでなく、海外にもどんどん活動の場を拡げて進出していって欲しいと思う。
その音楽性と堪能な英語力で海外のファンや音楽メディアにもアピールできるキャラクターを
既に持っているのだから。(2006年3月28日) 

 プー横丁に来ていたA君とドンと住出さん

今週初め、プー横丁に、友人のテッドとジョーがやって来た。
2人とも私が10数年前までやっていたロック・バンドのメンバーだったアメリカ人である。
バンド名をスリープレス・ナイツといって、
最初は私と友人のクレイグがデュエットとして始めたのだが
1人また1人と次第にメンバーが増えていき、最終的には5人のアメリカ人と1人のイギリス人、
そして私の7人編成になってしまったヘンテコリンなグループだった。
メンバーそれぞれが気に入った曲を持ち寄り、自分達の実力でも「演奏できそうならやる」
という感じで少しずつレパートリーを増やしていった。
50年代のオールディーズや60年代のポップス、テキサス・カントリー、シカゴ・ブルース、
アイリッシュからブルーグラスまで演奏する節操の無さが面白かった。 
4人が京都在住であとの3人は大阪。昼間は皆んな仕事があったから、
バンドの練習時間を捻り出すのも難しかったのに月に1、2回は集まっていた。
「お互い皆んな熱心だったんだなぁ」と今振り返っても思う。

京都の老舗ライヴハウス磔磔での単独ライヴが初ステージで、
メンバーそれぞれが友人や知人に声をかけたので1回目から満員のお客さんを前に演奏する事になり、
その後も幾度か磔磔で演奏するごとに大勢のお客さんに来てもらえた。
ステージでしゃべるのは殆どクレイグ(ウィスコンシン州出身)か
スコット(テキサス州出身)だった。
外国人が客席のかなりの割合を占めるので彼等2人は殆ど英語で話す中、
曲目紹介をする順番が私に回ってきた時、私は主に日本語でしゃべっていた。
すると、コンサートの休憩時間や終了後に「日本語がお上手ですね」とか
「You speak Japanese very well」とか、初対面の日本人の方によく声をかけられたりした。
その度に「いえ、僕は日本人なんですよ」と日本語で答えていたが、
ある時のコンサートでは一晩に何度も同じ事を言われるので、
思わず「Thank you. Domo Arigato」と返答してしまった事があった。

で、テッドとジョーに久しぶりに会って色々と話するうちにスリープレス・ナイツの話題になった。
今は大阪でバンドを組んでいるテッドは「今のバンドでは僕が最年長なんだけど、
昔スリープレス・ナイツというバンドをやってた頃に京都の磔磔で何度かライヴやったって
バンド仲間に話すると皆んなビックリするよ。
『あの磔磔に出たことあるんですか〜』って」と言って笑った。
それぞれ仕事が忙しくなり、皆んな集まって練習する事も難しくなって
自然に活動休止せざるをえなくなったけれど、その頃の楽しかった想い出は、
今も心に焼き付いている。
「POOH、また一緒にセッションしよう」と言って2人は帰って行った。(2006年2月10日)    

 久しぶりにプー横丁にやって来た友人のジョーとテッド

 

雲一つない青空。京都の元日は快晴の穏やかな1日だった。
近くの神社に初詣し、今年1年の無事を願った。

幼い頃の正月の思い出といえば、日中は次々と訪れる来客に
両親はもとより姉兄たちまでもが慌ただしくしていた。
そんな中で末っ子の私が気がかりだったのは、
お年玉と正月のTV番組のことくらいだった。
今、考えてもノンビリした子供だったように思う。

50代となって幾年かが過ぎ、新たな年を迎えた今、
これからの人生をより大切に生きねば、と思った。
澄み切った元日の青空を見ていたら、
柄にもなくそんな考えが脳裏に浮かんだのである。

今日からプー横丁の業務もスタート。
全国の音楽ファンの皆さん、また1年宜しくお願いします。
(2006年1月5日)                                             

雲一つない元日の青空

10月、11月、そして12月もアッという間に過ぎてしまった。

今年も押し迫った今週の月曜日に
下山亮平くんとダニエルくんのコンサートが上京区の「ヴィンセント」であった。
彼等にとって京都での初ライヴで、少し緊張していたようだけれど
いざソロ演奏が始まると、2人とも落ちついたプレイで
それぞれの持ち味を活かした好感の持てるものだった。

最初に登場したダニエルくんは私も初めてライヴを観たのだが
押尾フリークらしく立ったままのプレイで
その端正な顔立ちと185cmはあろうかという細身のスタイルが絵になる。
ステージ・マナーの良さも印象に残った。

下山くんのライヴを観るのは、半年ぶり。
オリジナル作品の演奏にも更に磨きがかかり、
1曲1曲を丹念にプレイする姿は彼の人柄がよく表れている。
曲間のおしゃべりも下山ワールド全開で
素晴らしいギタリスト、そしてライヴ・パフォーマーになりつつあるなぁ、
と感心した次第。彼等2人の今後の活躍を心から願っている。

さて、今年もバタバタと1年が過ぎ、あと数日で新年を迎えようとしている。
今年1年間プー横丁をご利用下さった皆様、
本当にありがとうございました。
新年は5日から営業。
来年もどうぞ宜しくお願いします。

それでは、良いお年を。(2005年12月28日)

 

ダニエルくんと下山くん                            

 

トミー・エマニュエル達が関西を離れた3日後
トミーの次の公演先でもある米国カンザス州ウィンフィールドに仕入れを兼ねて行ってきた。
今年34回目を迎える野外フェスティヴァル
「ウォルナット・ヴァリー・フェスティヴァル」が主催するコンクール・イヴェントの1つ、
「2005年インターナショナル・フィンガースタイル・ギター・チャンピオンシップ」が
フェス初日に行われ、それに伍々慧くんが参加した。

ファイナリスト5人には選ばれなかったが
初めてづくしの環境の中でも伍々くんは落ちついた演奏を披露し、
コンサート終了直後から滞在中の4日間ずっと
「あのコンテストに参加したのは貴方ですね。演奏良かったですよ」
「貴方のギターの演奏に感動しました。またウィンフィールドに来て下さい」
などと、会場内を歩いている伍々くんに本当に大勢の方が
異口同音の温かい言葉をかけて下さった。ありがたいことだ。

ウィンフィールドから片道15時間の空の旅を終えて
日本に帰った3日後にはアコースティック・ギター・マガジン誌から依頼されていた
トミー・エマニュエル関係の原稿の締め切り日。
ウィンフィールドでもトミーと立ち話したり食事した時に
少し取材(というか雑談の中で確認したかった事などを訊いたり)して
書く内容は大体決まっていたが、時差ボケが続く中で難儀しながら何とか書き終えた。

これで暫くはホッとできると思ったのだけれど
急にBMGファンハウスのご担当の方からお電話があり、国内盤の解説執筆のご依頼を頂いた。
二つ返事でお引き受けした後に締め切り日を訊いたら、10月7日だった。
また締め切り日と追いかけっこしながらの1週間となったのである。(2005年10月8日)

 フェスの主催者ボブ・レッドフォード氏を囲んで

 

9月は、本当に忙しかった。
プー横丁の業務以外に色々と用事が重なったからだ。

上旬には来日したトミー・エマニュエルのお世話をし、中旬には1週間ほどアメリカに出張。

9月9日と10日に大阪でコンサートのあったトミー・エマニュエルの来日公演では、
公演当日のお世話をして欲しいと主催者の方から依頼されていたので、
公演中はほぼ終日トミーとマネージャーのジーナ2人と行動を共にした。

私より英語の堪能なS氏はリハーサルおよびライヴ中は
主にエンジニアのオラーフに付き添って彼の面倒を見なければならず、
「トミーとジーナのお世話は、POOHさんにお任せします」と
前もって仰せつかっていたのだ。

滞在中の彼等が気分良く過ごせるように、
あるいはスタッフの方と彼等のコミュニケーションが円滑にいくように
ひたすら気配りし続けるという3日間だった。

オフの時も常にジョークを飛ばしているトミーをはじめ
ジーナもオラーフも本当に親しみ易い人達だったが、
海外からのミュージシャンのオフの際のお世話をするというのは、
毎回とても気を遣う。
ライヴ以外のオフの時も含め「日本滞在中は楽しかったなぁ」と
帰国後も思ってもらいたい一心で接しているからだ。
幸い今まではどのアーティスト達も皆んな関西滞在中の事を
好印象を持ってくれているようだ。

アメリカに行った時の事はいずれ記すとして、戻ってきてから
出張前に頼まれていたトミー・エマニュエル関係の音楽雑誌への原稿を執筆した。
まだ時差ボケが続いているようで夕方近くに眠くなり、
夜中にバッチリ目が覚める。(2005年9月30日)

 移動中の車の中でギターを弾くトミーの左手

もっと前の日記はこちら

Pooh's Newsの最新ページへ戻る