POOH'S NEWS
以前の日記

 

夏休みに入ってからは、近所に住んでいる6歳の男の子、カズオくんが頻繁に遊びに来る。
おばあちゃん家に遊びに行ったり、家族でお出かけしたりという日以外、彼は毎日やって来るらしい。
らしいというのは、彼の我が家への訪問は、主に私が居ない昼間だからだ。
プー横丁の業務が終って帰宅すると、彼の「お絵書き作品」がテーブルに残されていたりして、
彼が来訪していた事が分るのである。
そして、遅くとも夜9時には眠る彼が、「お休み前のひととき」に再訪問してくれる事も多く、
その場合は私も彼と遊んだり話したりする。

幼稚園の年長組に通うカズオくんは、掛け値なしに可愛い。
ある日、居間の壁にかかっているドリームキャッチャーを目ざとく見つけたカズオくんは、
見た事もない円形の物体を指差して「アレは何?」と訊ねた。
「ドリームキャッチャーという物で、悪い夢をしっかりとキャッチしてくれるんだよ」
というような説明をし終った途端、その場に膝まずいて「どうか僕が悪い夢を見ませんように」と言いながら、
彼は両手を合わせて祈り始めたのだ。
6歳の男の子だって悪夢を見るのは怖いのだろう。その真剣なまなざしと祈る気持ちの美しさに感動した。

先月、夏風邪をひいてしまった私が39度の熱を出して寝込んでいた時、
いつも通り遊びに来たカズオくんは、私の枕元までやってきて、額に小さな手をそっと置くと
「熱い、すごーく熱い」と言って帰って行った。
その夜、お見舞いのカードが届き、そこには私の似顔絵と共に全てひらがなの幼い筆跡で
「おじちゃん、はやくなおしてきゃっちぼーるしてね」と書かれてあった。

そんな可愛いカズオくんだが、同時にイジワルなところもある。
遊びに来るたびにドリームキャッチャーに向かい、「どうか僕が悪い夢を見ませんように」と祈った後、
ご丁寧にも「おじちゃんが悪い夢を見ますように」と付け加える事を忘れないのだ。
それを聞いて私が困った顔をするのが面白くて仕方ないのだろう。

ここ最近はそんなお祈りをしないので、
「カズオくん、この頃は『おじちゃんが悪い夢を見ますように』って言わなくなったね」と言うと、
彼は「だいじょうぶ。家にいる時にずーっと祈ってるから」と即座に答えた。

6歳児に言い負かされることしきりの今日この頃である。(2005年8月24日)

アメリカの友人が来日した際に

手土産としてプレゼントしてくれたドリームキャッチャー

 


(左前)茶碗を作ろうとしたが失敗して皿になってしまった。
(奥)「初めてとは思えないくらいお上手じゃないですか」などと先生からお世辞を言われた途端、指先に力が入ってグニャグニャになってしまい、修正を試みたが上部が薄くガタガタになった茶碗(のようなもの)。
(右) 成功品。拡大写真は下をご覧下さい。

先月初めにフトしたきっかけで生まれて初めて陶芸を習いに行った。
陶器を作りに行ったのである。いわゆる「1日陶芸教室」というもので、先生からインストラクションを受け、
電動ろくろ(漢字では轆轤と書くそうな)で作陶に挑戦した訳だ。

北山通りにあるその教室は、おそらく30歳前後と思われる(私から見れば)若い男性講師の方が
きびきびとした態度で応対して下さり、とても好感の持てる教え方だった。
ろくろを前にして座り、恐る恐る作り始めたのだが、
手を水で濡らしながら柔らかい粘土を形作っていくという行為そのものは、
手の感触としては「泥遊び」に近いもので、その懐かしい感覚が嬉しかった。
3つ作ったうち、2つまでは失敗作。3つ目に作りたいと思っていたイメージに近い器が、ようやく出来た。
約1時間の当日の作業はそこまでで、それを預けておいて、
焼いてもらったものが先月末に完成品として届いた。写真の3つである。

こちらが希望する釉薬の種類によって仕上がりの色が違ってくるそうで、
当り前の事なのだろうけれど、初心者としては感心した次第。
又、焼く前と後では20%ほど焼いた後のほうが小さくなると前もって聞いていたが
出来上がったものを見ると、予想していたよりも更に小さくなった感じだ。

作った陶器は日常使いの食器として毎日使っている。
自分の作ったものが日々の食卓に並ぶというのは、ちょっぴり嬉しいものだ。
勿論、失敗作2つも大きな顔をして並んでいる。(2005年8月16日)

 湯呑みには少し口が大きく、お椀としては

口が小さい割りに底が深いという多目的、いや無目的な器である。だったら、これも失敗作かも知れない。

■7月末の日曜日、丸山ももたろうさんの京都でのライヴに行った。
もともとは、ももたろうさんと石井完治さんのデュオ「ももかん」の
デビュー・アルバム発売記念ライヴの予定だったのだが、
関西ツアーの直前に石井さんが入院され、急遽ももたろうさんのソロ・コンサートに変更された。
オープニングの地元バンドの演奏が終わって、ももたろうさんの登場。
当夜のコンサートに石井さんが出演できなくなった事へのお詫びと説明があった。
入院も大事を取ってのことらしかったので、先ずは一安心。
「石井さんの名前が名前だけに病気もほどなく《完治》するでしょう」と軽く笑わせてライヴは始まった。
軽妙なMCと全曲ソロ・ギター・インストのライヴを心ゆくまで楽しませてもらった。
2枚目のソロ・アルバムも早ければ「来年に出したい」とのこと。楽しみだ。

■最近、四条河原町近くのケンタッキー・フライド・チキンの店前に立っているカーネル・サンダースが
浴衣姿なのを発見。見つけた時は、思わずクスッと笑ってしまった。
ジョン・ヘラルドが亡くなって以来、気分が塞いでいたが少しだけ心が和んだ。
これって京都中のKFCチェーン店すべてでやってるのかな。などと思っていたら、
スタッフから新京極通りのKFCのカーネル・サンダースは
「浴衣姿で、しかもスイカを手に持っている」という情報を入手。
クリスマスにはサンタクロースの真っ赤な衣裳、子供の日には鎧兜、
大阪では阪神タイガースのユニフォーム姿のこともあるとか。本当に大変だ。
何故なら、どんなコスチュームを身につけている時でも、
その更に下には常に白いスーツも着ているサンダースおじいさんなのだから。(2005年8月8日)

 浴衣姿のサンダースさん

 

7月19日ジョン・ヘラルドが亡くなった。
先週後半にウッドストックから連絡があり、その悲報に接した。
本当に残念でならない。
1939年生まれだから、66歳。
逝くには早過ぎる。

1979年、マッドエイカーズのメンバーとして来日した際
その佇まいが最も印象的だったジョン・ヘラルド。
飄々としたヴォーカル、華やかで明るいライヴ・パフォーマンス。
けれど、ステージを降りるととても寡黙で物静かな人だった。

京都でのオフの日、他のメンバーや関係者が外出した後も
宿泊先の和風旅館で終日庭を眺めて過ごしていたそうだ。
市内観光を終えたメンバーから今日1日の体験談を
「うんうん」と頷きながら穏やかな笑顔で聞いていた。

2001年8月、ウッドストックを訪れた時に
アーティ・トラウムの家で会ったのが最後だった。
「POOHの世間話」の「ウッドストックへ行ってきました: その3」に
書いた通り、来日時には大して話などした印象が無かったのに
22年前の私の事を憶えてくれていた。

2000年、16年ぶりのソロ・アルバム『ROLL ON JOHN』が
発表された時は、凄く嬉しかった。
相変わらず若々しくパワフルな彼のヴォーカルに感動した。
すぐさまイギリスの発売レーベルに連絡をしてスライス・オブ・ライフから
日本盤仕様のアルバムとしてリリースする事を決めたくらいだ。

多くの人が愛した彼の作品は永遠に残るだろうけれど
もう一度ステージで歌う姿が見たかったと心から思う。
でも、もうそれが叶わなくなったのだ。

今、ウッドストック在住の音楽仲間や
かつてウッドストックに住んだ縁りのミュージシャンは、
深い悲しみに包まれている。

慎んでジョンの御冥福を祈りたい。(2005年7月26日)

 

 

■先週後半の京都は祇園祭で大にぎわいであった。
確か宵々山の日の夕方にお越しになったお客さんは祇園祭の団扇を腰に差し、
何処かで一杯飲んでこられたのだろう少し赤い顔で陽気に祇園祭の事や好きな音楽の事など話されていて、
こちらまで祭りの日の楽し気な雰囲気が伝わってくるようであった。
その日の四条通りは何10万人もの人が「どっとくり出した」そうだ。京都に移り住んで30年。
今までさほど興味の無かった祇園祭にも次第に親しみを感じるようになってきている。
昨年の6月に今の場所、中京区に移転した訳だが、その直後にあった祇園祭の山鉾巡行が、
とても印象的だった。
プー横丁は御池通りに面したビルの5階なので、河原町御池の交差点を過ぎてから
御池通りを流れる山鉾巡行を観るのには最高のロケーションである。
しかも、ビルの5階の高さからの眺めは、数100メートルの範囲にわたって巡行の様子が
手に取るように観ることができる。
色とりどりの鉾やこの行事に関わる大勢の人々の表情、参加者の中に含まれる可愛らしい子供達、
忙しく動き回る露店の人達など、皆んな活き活きとしている。(2005年7月23日)

 プー横丁の窓から見た御池通り

■7月3日の日曜、京都国立近代美術館へ加守田章二(かもだしょうじ)の作品展を見に行った。
殆ど何の予備知識も無かった。前もって知っていたのは、
この作家が「20世紀の陶芸界の鬼才」と呼ばれていた事くらいだ。
時間が無く、閉館の1時間ほど前に入ったのだが、
一通り見た頃に閉館を知らせるアナウンスが館内に流され、
退場を促されてからも立ち去り難いほどの深い感銘を受けた。
50歳を目前に亡くなったという彼が、23歳(1956年)から49歳(1982年)までの
36年間に創作した作品のうちの約200点が展示されていたのだが、
その多種多彩な作風と創作力に驚いた。

作品は、盃や湯呑み茶碗や徳利などのごく小さいものから大壺や
一抱えもある大皿まで様々で、ほぼ年代順に並べられてあった。
とにかく、各作品の造形・表面の形やデザイン・色彩がユニークだ。
カラフルな色調のものも押し付けがましさがなく、しっとりと落ち着いている。
今見てもモダンと思える初期作品や何処かの古代遺跡から発見されたものかと思うような
国籍や時代も超えた70年代の諸作品など、
「作家の意志と意匠が見事に結実した造形美」とでも言おうか、
どの一品も興味をそそられるものばかり。

その中でもとりわけ印象的な壺や皿が15点ほど並べられたコーナーがあり、
ふと作品の制作年を見ると1973年だった。
プー横丁がオープンしたのと同じ年に、この関西出身の陶芸作家は
岩手県の遠野にある自らの陶房で陶器創りに没頭し、
これ程までに素晴しい作品を次々と生み出していたのだ。

館内には加守田が陶芸を始める前に描いた油彩画も幾点か展示されてあり、
「山羊」というタイトルの白いヤギの側面からの姿が描かれたものに心惹かれ、
しばし立ち止まって眺めていた。
1950年の作というから、加守田が17歳の時の作品であった。

美術館の壁に貼ってあった彼の文章が興味深かった。
「自分は進歩等はないと思う。ただ常に新鮮さを持続させたいがためにもがきながらも努力する」
「人間は単純なことを積み重ねることは出来るが、一度に複雑微妙なることはなし得ない。
複雑微妙なることは大自然のなし得ることである。
しかし人間のなし得るはずである単純の積み重ねもなかなかなし得ないことである」
「着実な単純な生活の積み重ねこそ最も充実した生活です」
(2005年7月6日)

 館内の加守田のポスターと公園

 

■「観測史上何番目かの猛暑」と報じられる都市があるかと思えば、
同じ日に別の地域では豪雨で床上浸水だというニュース。
気圧配置などの関係でそんな事も起こりうるという予報官の説明を聞いても
「やっぱりこれは何か変だ」と思ってしまう今週の天候だ。

■今週前半にプー横丁のHPのヒット数が20万を超えた。
先週の後半くらいからもうスグ20万ヒットになるとスタッフが言っていたけれど、
ジャストの数字を「踏む(って言うらしいですね)」なんて事に余り興味がないので、
気にもとめていなかった。
しかし、その夜、アップしたばかりの内容を確認する必要があって
HPをチェックした時に、ふとカウンターの数字を見てみた。「200003」だった。
そうなると少しの違いで20万ヒット目に当たらなかったのが
何だか残念な気になってくるんだから、人間の気持ちというのは面白いものだと我ながら思う。
20万というアクセス数は、いわゆる人気サイトに較べると少ないのかもしれないが
それにしても、プー横丁のような、この種の音楽が本当に好きな方でないと
面白くも何ともないウェブサイトをチェックして頂く方が大勢いらっしゃるというのは、
凄くありがたい事だ。
情報源として利用するだけでなく、実際にプー横丁でお買上げ下さっている方々のお陰で、
何とか今までやってこれた。
プー横丁を応援して下さる方に感謝しつつ、明日もガンバろう。(2005年6月30日)

 ちょっとでも涼しい気持ちになればと鴨川を撮ってみた

■リットー・ミュージックのアコースティック・ギター・マガジンから
依頼を受けた2枚のCDレビューの原稿を書き上げた。
原稿サイズはいずれも28字×12行で短いのだが、それだけに毎回ちょっぴり苦労する。
書きたい事が色々あり過ぎて、決められた文字数に収まり切らないからだ。
7月下旬発売の25号に掲載される予定。

■今年になって音楽雑誌の方から原稿依頼を頂く事が増えた。
今店頭に並んでいる『プレイヤー誌』に
「Unplugged Now: アコースティック・インストゥルメンタル・ミュージックの最新情報」
という特集(58〜65ページ)があって、1990年代以降の、カントリー、ブルーグラス、
フォーク、ブルースの音楽シーンの流れを紹介するページと、
2000年以降に発売されたアコースティック・インストお薦めアルバム15枚を
担当させて頂いた。

■このところ、毎日のように「THE TELLURIDE BLUEGRASS FESTIVAL: 30 YEARS」のDVDを観ている。
1曲目のサム・ブッシュ、ジョン・カウワン、ベラ・フレック等のニュー・グラス・リヴァイヴァル時代の
レパートリーの1つ「Deeper and Deeper」は、何度観ても惚れ惚れする。
本当にカッコいい奴らだ。

■先週、2日続けて観に行った近くの小川のホタルは、2日目には1匹も発見できなかったけれど、
昨晩10時過ぎてからその近くを歩くついでがあったので、その川に架かった小さな橋を渡ろうとした途端、
小さく動く光を見つけた。ホタルだった。川面を元気よく飛んでいる。
たった1匹だが、5、6メートル先をフワフワと飛んでいたかと思うと、
そのホタルがこちらに向かってきて、立っていた橋のたもとの草むらに一瞬止まったあと、
すぐに橋の下の方へ飛んで隠れてしまった。
暫く覗き込んだりしていたが反対側から出て来る気配もないので、
その場をあとにした。(2005年6月26日)

 プー横丁の店内 ブルーグラスのコーナー



■相変わらず暑い日が続いているけれど、
これでも祇園祭の頃の「夏、真っ只中」の蒸し暑さに較べれば
過ごし易いと言わなくてはならないのかも知れない。
少し前に自宅から徒歩で行ける川にホタルが飛んでいる場所があるという話を聞き、
見たいと思いつつ行けずにいた。
一昨日の晩にその場所に行くと100メートルほどのその地域に
4つ5つ淡くほの白い光を放つホタルを草むらの中に見つける事ができた。
昨夜も行ってみたが、もうホタルの光を見つける事はできなかった。

■今日の夕方、若い男性のお客さんがお越しになった。
岸部眞明くんを知ってアコースティック・ギター音楽が好きになったとおっしゃる
京都市内にお住まいの方で、岸部くんのHPでプー横丁の事を知って下さって
「一度来てみたいなぁ」と思っていらっしゃったとの由。
住出勝則さんにも興味がおありだったので色々と説明させて頂いた。
岸部くんと伍々くんのCDと住出さんのDVD『SOLO GUITAR MAGIC』を
お買い上げになり、「また来させてもらいます」とおっしゃって帰られた。
本当に若いアコースティック・ギター・ファンの方が
どんどん増えている感じがする。
嬉しいことだ。(2005年6月22日)

  蛍がいた川を午前中に撮影

■先週の月曜日、岸部眞明くんとの関西方面のツアーを終えた下山亮平くんが、
立ち寄ってくれた。
私が観に行った大阪の5th-Streetさんでの久しぶりの彼のライヴは、
岸部くんのニュー・アルバム『Recollection』発売記念ライヴだったので、
ゲストとしての演奏で5〜6曲と曲目こそ少なかったが、ナカナカの好演だった。
下山くんのニュー・アルバム『Ordinary Life』からの作品を
初めてライヴで聴くという事でも楽しめたし、
オムニバス盤『DAYBREAK』発売記念ツアー時の演奏と較べて
彼の確かな成長ぶりを感じる事ができたのも、嬉しかった。
プー横丁にやって来た彼と、店内で暫し歓談。
ステージでの話しぶりと同様、おっとりして穏和な物腰は相変わらずだ。
彼も、フィンガースタイル・ギター・シーンで
将来バリバリ活躍して欲しいアーティストの1人だ。

■梅雨入りしたと発表があったらしいのに先週は晴れの日も多く、
今日は快晴で予報では最高気温33度まで上がるとか。
京都の住人になって丸30年だけれど「京の夏」の蒸し暑さには毎年マイッてしまう。
(2005年6月20日)

6月上旬に河原町丸太町あたりから撮った夕焼け 

 撮った時の実際の印象はもっと明るかったのですが、見直すとちょっと暗いかなぁ。             

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