POOHの世間話コーナー
ガスリー・トーマス (カタログ未掲載)
■以前のカタログ98/Dの『世間話』のページでガスリー・トーマスの事を少しお話しましたが、最近「ずいぶん前にプー横丁さんで買ったガスリー・トーマスの『AS YET UNTITLED』のLPのB面のラベル近くの盤に「THANKS "POOH"」と刻まれているのを見つけたんですが、これはプー横丁さんあるいはプーさんと何か関係があるんですか?」というお問合せを幾件か頂きました。ご質問の方には既にごく簡単に「ハイ、私のことです」とお返事していますが、ここでもう少し説明させて頂こうかなと思います。前述のカタログでも書いてある通り、ガスリーが自主制作レーベル「EAGLE」レコードから次々とソロ・アルバムを発表していた70年代終わりから80年代初めにかけてプー横丁は同レーベルのディストリビューションをしていた関係で、私はガスリーとは頻繁に手紙のやりとりをしていて、時々はビジネスの話だけではなく「最近リリースされた誰それのアルバム聴いた?」なんて事もお互い書いたりしていた訳です。ですから、ガスリー自身が自分のニュー・アルバムのレコーディングに入ったりした時は尚更で「今週末までにはミックスダウンを終える予定だ」とか「正式リリース日は来月の中旬頃にしようと思ってるけど、今月末には初回プレス分が出来上がってこっちに届くからプー横丁からのオーダー分はすぐに発送するようにするよ」などと、筆マメなガスリーは頻繁に色々連絡してくれていました。特に印象的だったのが『AS YET UNTITLED』のLP制作の時で、録音やミックスダウンの経過報告(?)は勿論、ジャケットのゲラ刷りまで幾度も航空便で送ってきたりして「どう思う? なかなか良いだろう。でも、何ケ所か気に入らないところがあるんで印刷屋にやり直させてるんだ」とメモが添えられていたりしました。で、アーロ・ガスリーによる書き下ろしのライナーも載っているそのジャケットも完成し、『AS YET UNTITLED』の初回プレス分がもうすぐ出荷されるという直前に届いた彼からの手紙に「AS YET UNTITLEDを受け取ったらレコード盤のラベルの近くを注意深く見てごらん。きっとプーは驚くと思うよ」と書いてありました。「何の事だろう?」と思いながら何日かが経ち、その初回プレスの『AS YET UNTITLED』のLPがプー横丁に届き、1枚を開けて聴いて「今度のアルバムも凄く良いな」と思いながらA面を聴き終え、盤を裏返す時に彼の言葉をふと思い出して「えーッとどこに何が書いてあるって?」と思いながらA面のラベルの貼ってあるすぐ外側にハート・マークがあって「SARAH & MAGGIE」と刻まれていました。サラは彼の娘さん、マギーは奥さん(だったと思うの)です。「これを見てどうしてボクが驚かないといけないんだろう」と不思議に思いつつ、B面をかける為に裏返して盤面の同じところに目をやると「THANKS "POOH" & JG」と刻まれているではありませんか。ビックリしました。「どうしてこんな事をしてくれたの?」という思いと「こんな事をしてもらう程のことボクは何もしてないのに」という思いが交錯して、そばに居た当時のアルバイトのSくんがレコード盤を手に持って絶句している私に「どないしはったんですか、プーさん」と声をかけてくれるまで一瞬固まってしまっていました。ガスリーの粋な計らいにスグにお礼の手紙を書いたのは言うまでもありません。彼からの返事には「POOHのこれまでの友情と親切に対する感謝の気持ちを何か形にしておきたかったんだよ」と書かれていました。ちなみにJGという人の事も聞いて教えてもらった筈なのですが、よく覚えていません。同アルバムに参加しているピアニストのJohn Gallの事だったようにも思います。(2000年POOH 記)
ダグ・サーム (カタログ未掲載)
■99年11月18日ダグ・サームが亡くなりました。死因は心臓発作との事。彼とは、エイモス・ギャレットとジーン・テイラーとのバンドで来日した時に会いました。会ったというか挨拶した程度なのですが、彼等の京都公演があったライヴ・ハウス《磔磔》でコンサートの休憩の時、ダグとエイモスは入り口から外に出て煙草を吸っていました。エイモスに「久しぶりだね」と話かけるとスグに「やぁ、POOH」という感じでしたが、ダグは入口前の駐車場のところで背中を向けて立っているだけ。「あっちで立ってるのはダグだよね」とエイモスに聞くと「ああ、そうだよ。POOHに紹介しよう」と言ってくれて、近付いてからエイモスが「Hey, Doug. This is my friend, Pooh. Pooh knows everything about you. Pooh, This is my friend, Doug」と言いました。ダグは「Nice to meet you」と言って握手してくれたのですが、そのグローブのような分厚い手が印象的でした。「貴方の音楽を昔から聴いて楽しんでいます。今夜、貴方の歌が生で聴けて凄く嬉しいです」というような事を言ったと記憶しているのですが、そして、それからも2、3言葉を交わし、彼も何か言ってくれたとは思うのですが、よく覚えていません。程なく始まったそのコンサートの後半の演奏での興奮が、握手した時のずっしりとした手の感触以外の記憶を薄れさせたのでしょうか。テキサス・トーネイドスでもソロでも来日して彼のライヴをもう一度見たかった。残念でなりません。彼の冥福を祈ります。 (2000年1月POOH記)