POOHの世間話コーナー

エリック・カズ初来日ツアー滞在記 その10 最終回
  - お別れの日 -

 前夜、別れ際に「もし7時半までに僕が電話しなかったら、まだ眠ってるか、それとも朝食は1人で食べたい気分になってるって事でいいかい?」と言っていたエリック。目覚ましを7時過ぎにセットしておいた私は起きてから、チェックアウトの用意(といっても荷物の少ない私は部屋に忘れ物がないか確認するくらいです)をし、お腹もすいてきたので7時半になったのを確かめた上で部屋を出て、開いている幾つものホテル内のレストランを物色。トーストとコーヒーだけというシンプルなモーニングを1000円で提供されている喫茶ルームもありましたが、まぁどこも申し合わせたようにモーニング・バイキングは2200円だったりして、中には「中華お粥モーニング・セット5000円」なんて店もあって「高っけぇなぁ〜」と思いつつ、あるレストランへ。食事を済ませて、部屋に戻る時にエリックの部屋のドアを見ると「起こさないで(DO NOT DISTURB)」のプレートがかかっていました。「まだ眠ってるのかな。でもフロントに集合するのは9時過ぎだから、荷物も沢山あるしチェックアウトの用意とかできてないといけないから、そろそろ電話かけて起こそうかな」と思いつつ、部屋に戻って暫し休息。しようと思ったら、ドアをノックする音。「誰ですか?」と聞くと「ラーメン・マン」なんていうエリックの声。

 彼のノックは、例の「秘密のドア・ノッキング」じゃなかったので、その事をツッコもうかとも思ったけれど、本日の朝一番のエリックが上機嫌かどうかわからないので、それは止めてドアを開けると「朝ご飯は食べた?」とエリック。「もう食べて戻ったところ。あなたは?」「食べたよ。僕も今戻ったところさ。洋風バイキングが2200円もした」「僕は別のレストランでモーニング・バイキング食べたけど、そこも2200円でしたよ、まぁ味は悪くなかったけれど」「金沢では全く同じのが1000円だったよ。それで凄く美味しかった」「東京は物価が高いから」「でも、クレイジーすぎやしないか。で、どうする? まだ時間は充分あるし、一緒にダベらないか?」「いいですよ。僕の部屋で? それともあなたの部屋で?」「僕の部屋に来たらいい。ちょっと散らかってるけど」という事でエリックの部屋の中へ入ると、床にはガバーッと広げられたスーツ・ケース。ベッドの上にも「これからカバンに入れるつもりです」というような品物が一杯。「えーっと、そこのガラクタを飛び越えて、あっちのソファーに座ってもらおうかな」「OK」と窓際のソファーに腰を下ろし、荷造り中のエリックを見学。「ベッドの上の物をスーツ・ケースに入れたら、片付くと思う。もうスグだ。えーッと、これは捨ててと....」「さっき家族のお土産にホテルで売ってる日本のキモーノを2着オーダーしたんだ」「着物を2着? ホテルで売ってる?」と私。「妻と娘にプレゼントするんだ。ホラ、部屋にも置いてある薄っぺらいヤツ」「ああ、ユカタね」「何だって?」「ユカタ」「Yukata?」「そう、Yukata」「そのユカタをもうスグ部屋まで持って来るって今さっき電話があった」「あ、そう」なんて話してるとピンポーン。「ルームサービスでございます」という声。品物を受け取って「これこれ。2着でXXXX円で買ったんだけど、どう思う? いいだろう?」「いいですね」「このYutata」「ユタタじゃなくてユカタ」「ユカタ、ユカタ。覚えにくいなぁ。日本語は難しいよ」「あのね、エリック。キャロル・キングの『君の友達(You've Got a Friend)』って歌、知ってるでしょ?」「当然」「それで覚えたらいい。ユヴ・ガッタ(You've Got a)じゃなくてユガッタ(You Got a)、ユガッタ、ユカッタ、ユカタって覚えたらどう? 難しいですか?」「とても面白い(Very interesting)。ユガッタ、ユガッタ、ユカッタ、ユカタ、ユカタ。これなら覚えられる。ユガッタ、ユカッタ、ユカタ.....。覚えた!!」と言って、新しい単語を覚えた事に大喜び。そして、1着を完全に広げて自分の両肩に当て「サイズはさっき見てオーダーしたんだけど、チェックしとかないとね。2人とも背丈はちょうど同じ位で、僕よりは少し低いんだ。ウン、これでいい。この表の模様の下の方にPOOHのサインを大きく書いてもらおうかな」「冗談はいいから」「僕はマジ、マジ。良くない?」「折角の素晴らしいデザインのユカタの上に僕のサインなんかするのは、良いアイデアだとは思わないです」「そう?」などと話したり、室内で写真を何枚か撮ってたら、もう結構いい時間です。「じゃあ、ソロソロ行こうか」という事に。

 フロントではハジメ氏が待っていました。ユカタ分も含んだ追加料金の精算をしてエリックがチェック・アウト。その時にチェック・アウト・カウンターのホテルの人にエリックが「オハヨーゴザイマス」「ドモアリガトゴザイマス。サヨナ〜ラ」と言ってるのを横で聞いていたので、私は「《オハヨーゴザイマス》《ドモアリガトゴザイマス》っていう風に《ゴザイマス》を付けて言うのは、凄く丁寧な言い方なんです。今からハジメさんに会うでしょ。彼とは親しいんだから、そんなに丁寧じゃなく《オハヨー》って言えばいいんです」「《オハヨー》だけでいいのかい? ホントに?OK、じゃ試してみる」と言ったエリックは、歩みを速めて先にハジメさんの元へ。向こうの方で2人で何か言い合っていますが、私にはハッキリとは聞こえません。ホテルの出入口前に停めてあるトムスのヴァンの後部に2人は荷物を乗せています。エリックに「上手くいった?」と訊いたら「ダメだ。ハジメは何度《オハヨー》って僕が言っても《オハヨーゴザイマス》としか言わないんだ」と少し不満げ。それで「今さっき友達同士の間では《オハヨー》だってエリックに説明したとこなのに。上手いこと受けてあげないと」とハジメ氏に「教育的指導」をしたら「エリック、エリック。グッド・モーニングって日本語でもう1回言って」「オハヨー」とエリック。「オハヨー」とニッコリ笑ったハジメ氏。それでも、時すでに遅し。エリックは100%は満足していない様子です。既に車の中に乗り込んでいる麻田さんが車外のこの「スッタモンダ」に気づいてくれている事をひたすら祈りつつ、私はエリックに「まだ麻田さんには言ってないじゃないか。麻田さんに試してみたら?」と促したら、麻田さんに「ヒローシ、オハヨー」とエリック。「オハヨー」と麻田さん。エリックが声には出さず、麻田さんには分らないように振り返って「ヤッタァ〜。上手くいったぁ〜」という表情で私を見て笑いました。車に乗り込む時、エリックが「どうぞ」という感じで、私が乗る後部座席のドアを開けてくれたので「サンキュー」とお礼を言ったら「チップを下さい」。今朝もエリックは上機嫌のようです。

 トムスのヴァンに乗って成田空港へ。ハジメ氏が運転し、エリックは助手席。そのスグ後ろが私で、私の横が麻田氏。新宿から成田空港まで、普通どれ位で着くのか知りませんが『これで最後。エリックともお別れだなぁ』と思う気持ちからでしょうか、私には凄く早く着いたように感じました。そのヴァンに4人で乗り込んで間もなくエリックが「Pack up my suitcase and walk out the door / Carry my bags to the station」と『IF YOU'RE LONELY』にスタジオ・ヴァージョンが『1000年の悲しみ』にはライヴ・ヴァージョンが入っている「MY LOVE MAY GROW」を鼻歌で歌っていた、というのを覚えているくらいで、その時の4人での車中の事がまるで思い出せません。昨日の朝のように皆んな静かに黙っていたんじゃなかった筈ですが、何度思い出そうとしても鼻歌の「MY LOVE MAY GROW」しか聞こえないし、その時のエリックの後頭部しか覚えてないんです。おかしいですね。

 車が成田空港の国内線の方に着くと、もうお別れです。北海道には麻田氏1人が同行。空港に到着し車から降りると、スグにエリックが僕の腕を軽くつっ突くので、フトそちらを見ると彼が握手の手を差し出していました。握手しながら彼は『1000年の悲しみ』がきっかけで日本ツアーが実現できた事や、今日までのツアーや京都でのオフの日も含め日本での経験が如何に楽しかったかを改めて私に言い、謝意を述べてくれました。初めは「僕も凄く楽しかった。ツアーが上手くいって良かったし、ファンの人たちも喜んで下さってますよ。『何10年も待った甲斐があった』って」なんて冷静に応えてたんですが、次第に感激して途中で泣きそうになってきたので、エリックが覚えた日本語の「どういたしまして」と英語の「You're welcome」を交互に言って、エリックの一言一言に相づちを打つのがやっと、という状態になりました。それから、エリックはハジメさんに近づき、感謝の言葉を述べ始めました。どうやら、日本に着いた日の事からずっと彼がお世話したツアー中の出来事を引き合いに出しつつ、お礼を言っています。友だち同士の旅行中の別れ。「いいなぁ」と思いながら私は彼等2人を見ていましたが、麻田さんは時計を見ながら「時間がないよ、時間が」と小さく叫んでいます。ここからツアー終了まで、100%麻田さんのマネージメントが始まる訳で、焦る気持ちも充分に理解できます。前夜「国際線の時ほど早く行かなくてもいいけど、早い目に成田には行って、搭乗手続きは早いとこ済ましときたいんだ」と麻田氏は言っていたのに、今さっき着いた後でエリックが私とハジメ氏の為に時間を浪費(?)してしまって、離陸の時間までに30分無くなっているのですから。ハジメ氏との別れが終わったらしい事を見て「OK? Let's go. We have no time, Eric」とか言いながら、麻田さんとエリックは搭乗手続きカウンターの方へ消えて行きました。そこまで一緒に行きたい衝動にかられましたが、最後のお別れもしましたし、たった今「エリック、よい旅を」って言ったばかりだし、帰りに私を乗せていってくれるハジメ氏の都合もあるだろうから、それは断念。

 ハジメ氏に運転してもらっての帰り道。「JR東京駅だといいんですけど、僕あそこら辺の道路あんまし詳しくないんで、新宿駅まででいいですか?」「全然。そこまででも乗せてもらえたら大助かりです」「そいじゃあ、新宿に向かいますね」と行き先を確認した後、私が「エリックは、ハジメさんに長いことお礼を言ってたねぇ。僕に言ってくれてたよりも2、3倍は長かったと思う」と、ギャグッて言ったら「アハハ。すんげぇ長いこと言ってるから、これは絶対に最後『But, get out(でも、出てけ)!!』って間違いなく言われると思ってたのに、言わなかったですねぇ、エリック」「そうやねぇ。最後の最後で、そう言ったらエリックのユーモアのセンスも凄いって事になったのかもしれないけど....」「そうそう」「でも、やっぱりエリックはハジメ氏に凄く感謝してたっていう事ですよ、マジで。例え日常的には『Hajime, get out!!』って言ってても」「そうなんスかねぇ」などと、雑談しながら、車は新宿へ。新宿駅に着き、私もハジメさんにお礼を言い、握手して別れました。新幹線で京都に戻ってからは、もうクタクタで夕方近くまで仮眠をとってから、その日中にやらないといけない仕事を済ませ、深夜になってこの「世間話: エリック・カズ初来日ツアー滞在記」の「その1」を書き始めたという訳です。

 今、この約2週間を振り返ると、色んな事を思い出します。エリックのジョークや、あの日常的に彼がする「小芝居」、それにこちらがつきあってあげると更にノッてしまう茶目っ気ぶり。フッと見せる淋しげな表情。自らを「パフォーマーやエンターテナーやシンガーではない」と言いながら、今回のツアーでは、あれだけ素晴らしいステージをエリックは我々に見せてくれました。彼が(恐らく)何10年ぶりで行なった今回のツアーは、体調の維持だけでも大変だったろうと思います。麻田氏やハジメ氏のお世話でもって、各コンサートにはベストな状態での演奏と歌を披露する事に努めてくれたエリック。コンサートに行かれた全ての方が彼のその誠実な人柄に触れられたと思います。エリックにとっても日本でのファンの方の声援は大きな自信になったと思います。自分の作品を最も理解し愛してくれているファンが日本にこんなに大勢いる事を知った彼は、再び機会があれば日本でのコンサートには、喜んで応じてくれるだろうという気がします。

 プー横丁がオープンしたのは、1973年の春。エリックの『IF YOU'RE LONELY』が出たのが、1972年。30年後に彼とこんな風に関わって、ソロ第3弾アルバムをプー横丁のレーベル、スライス・オブ・ライフからリリースするなんて、あの頃は夢にも思っていませんでした。そして、トムス・キャビンの招聘によって、来日ツアーが実現し全国のファンの方に喜んで頂けた事をとても嬉しく思っています。本当にミラクルな気分で一杯の2週間でした。コンサートに足を運んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

 

 

エリック・カズ初来日ツアー滞在記  おわり

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