POOHの世間話コーナー

リヴィングストン・テイラー(2000Bカタログより)

2000年3月上旬から中旬にかけてリヴィングストン・テイラーが全国7ケ所でのコンサート・ツアーの為に日本にやってきました。
リヴの奥さんのマギーは今回は同行せず、彼とピアニストのビル・エリオットとの2人だけ。私は京都の『磔磔』と神戸の『チキン・ジョージ』に行ったのですが、リヴのCDを両会場で売ったりしてましたので、丸っきりの遊びという感じでもなかったのですが......。

で、先にあった京都公演の当日は割と時間があったので、会場時間よりも早く『磔磔』に着くと、2人はステージの上でサウンドチェックをしていました。ご存じの方も多いと思いますが、『磔磔』は昔の酒蔵を改造した木造のライヴ・ハウスで、2人とも『ここは良い雰囲気だ』と何度も言ってました。

リハーサルが終わって、ステージから降りてきたリヴに『久しぶりですね。POOHですよ』というと(前回来日した時より私は随分痩せましたので、彼は驚いて)『POOH? キミがプーさん? (POOH? Are you Pooh-san?)』と念を押されてしまいました。で、スグに『マギーがPOOHに会ったらくれぐれもヨロシクと言ってたよ』と笑顔で言ってくれたリヴと、京都までの今回のツアーの事なんかを少し立ち話して『今から開演までどうするの』と聞くと2人で一旦ホテルに戻るとの事。そしたら招聘元のSさんが『僕はまだ少し用事があるんで、良かったら彼等をホテルまで連れて行って貰えませんか』『いいですよ』という事になって、宿泊していた某ホテルへ3人で。

途中、ビルから彼がボニー・レイットの日本公演などで何度も来日している事や、京都が大都会らしくなくて一番好きだという事などを話しながらホテルへ。ビルは部屋に戻って休憩したり食事するとの事。で、リヴは『この近くに照明の専門店があるんだけど、ちょっと付き合ってくれないか、Pooh』というので、その店に入って各種の家電照明の数々を物色。『今、新しい家を建ててる最中でね。その部屋にあう照明があるかなぁ』と1階と2階に陳列された商品を『どんなのをリヴは探してるの? モダンなやつ? それとも古き良きアメリカン・スタイル?』『いや、別に決めてないんだ。Poohはどんなのが好き?』『特にスタイルにはこだわらないけど、ごちゃごちゃしてるのよりシンプルな方が好きだなぁ』『僕もそうだよ』などと、あーだこーだ言いながら店内をウロついて、結局は何も買わずにホテルへ戻る事に。

『ホテルのロビーでコーヒーでも飲もう。奢るよ』とリヴが言い、それから最新ライヴ《SNAPSHOT》の事や彼が教鞭をとっているボストンのバークリー・スクールでの事、レコード業界の事などなど、お互いコーヒーをお代わりして『ビルももうすぐロビーに降りて来る時間だから、部屋に戻って僕も着替えてくるよ』とリヴが言い出すまでの約1時間2人で歓談したのでした。そして、ほぼ同時に支度のできた彼等と共に『磔磔』に戻って、開演まで2階の楽屋で待機。

それから暫くして始まったリヴの本番ステージが素晴らしかったのは、言うまでもありません。コンサートの後『磔磔』の店長、水嶋氏も含む総勢10名余りが参加した打ち上げも面白かった(という印象はある)のですが、アルコールにとても弱い私は途中で酔ってしまい余り記憶が定かでないので、その時の事は省略。

で、翌日の『チキン・ジョージ』で印象的な出来事がありましたので、お伝えしておきましょう。

ビルは既にサウンドチェックを終え、1人で入念なチェックを済ませたリヴが、会場後部にあるドリンク・カウンターまで1人で行って何やらそこのスタッフと話していました。リヴの言ってる事は聞こえませんが、何かを欲しがっている様子。飲み物ではない事がスタッフにも解り、ようやく彼に手渡されたのは乾いたタオルでした。これを少し遠くから見ていた私も何がしたいんだろうと思ってリヴの姿を目で追っていました。すると、彼はステージに戻り、今サウンドチェックで使っていた(リヴも1曲で使うのですが、本番のステージでは殆どビルが弾く)グランド・ピアノをそのタオルで丁寧に拭始めたのです。

そういえば、リヴが最初に拭き始めた辺りに「ここに指紋がついてる」みたいな事をビルとのサウンド・チェックの時に言ってました。それを見つけたステージ担当のスタッフが飛んで来て「私がやります」という風にリヴの持ってるタオルを取ろうとしたんですが『That's OK』と言ってそのまま(お客さんに見える側だけでなく)全体を素早く拭きえました(その時のスタッフの方の名誉の為に付け加えておくと当夜のコンサートの準備で彼等は目まぐるしく働いていましたし、それが一段落した時には、そのピアノを再度磨いていました)。

リヴがこちらにやって来て『やぁPooh』と言うので、『サウンド・チェックが終わった後で、いきなりピアノをタオルで磨き始めたアーティストを見たのは初めてだよ』と少しおどけて私が言うと『グッド・コンサートをする為には何でもするさ。ピアノだって何だって磨くよ』とサラリと言ってのけたリヴ。感心しました。

彼はよく『私を雇って(hire)くれるのはプロモーターでもなければ、コンサート・ホールやライヴ・ハウスのオーナーでもない。その日のコンサートにお金を払って見に来てくれるファンなんだ。私は彼等の為に歌っているんだ』と言います。『だから、お客さんがより良い雰囲気でその場のひとときを過ごせるようにアーティストは常に気を配らないといけないと思う』とも。そんな気配りが身についている一瞬をサウンドチェックの後の出来事に見て、私は静かな感動を覚えました。勿論、彼のプロとしての長いキャリアや彼自身のオリジナル作品に対するアーティストとしての思い入れやプライドが並々ならぬものである事は、彼との付き合いで私も知っています。でも、それはそれとして、どんな場合にも威張るような態度を決してとらないのは、常に誰に対してもフレンドリーでありたい、何に対してもオープンマインドでありたいと願い、その願いに見合うだけの努力を長年にわたって実際にしてきた結果が今の彼の暖かい人柄を作っているのだという気がするのです。

人間的にも素晴らしいシンガー・ソングライター、リヴィングストン・テイラー。彼が歌い続ける限り、私も1人のファンとして彼の歌を聴き続けるでしょう。


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チャールズ・ソウテル / Charles Sawtelle (99Bカタログ掲載)

元ホット・ライズのギタリスト、チャールズ・ソウテルが99年3月20日午後8時に亡くなりました。97年に白血病と診断された後は病魔と闘いながら音楽活動を続けていた彼、チャールズ・ソウテルは、私にとっても思い出深いミュージシャンです。

85年にホットライズが来日した際、京都でのオフの日があり、招聘元のマップスの藤井さんが彼等4人(チャールズ以外は勿論ティム・オブライエン、ピート・ワーニック、ニック・フォースター)を当時は新京極三条にあったプー横丁に連れてきて下さり、店内でメンバーと話しました。ブルーグラスのアルバムが京都の街中の小さなレコード店にズラリと並んでいるのは彼等にとって結構インパクトがあったようで、「アメリカでもこんなにブルーグラスが揃っているレコード店は無いなぁ」とか「もしもプー横丁がコロラドにあったら毎週でも来るよ」とか嬉しいお世辞を言ってくれたのですが、チャールズはブルーグラスのコーナーをチラッと見た後はズーッとブルースのコーナーを端から順番に見て、それから私に「アルバート・キングの『BORN UNDER A BAD SIGN』は日本盤LPで手に入るかな?」と真面目な表情で訊きました。アルバート・キングの代表作の1つであるそのアルバムを「ずっと探してる」と言うのです。

別に不思議がらなくてもよいのですが、プロのブルーグラス・ミュージシャンの口からの突然のブルース・アルバムに関する質問に少し面くらいつつ、私は「品切れ中だけど、うまくいけば貴方が関西に居る間に手渡せるかも知れない」と答えました。
これが、私とチャールズとの初めての会話だったと思います。「買って帰りたいレコードを今何枚か見つけたんだけど、今日は京都観光の途中なんで荷物になるし、明日午前中に時間があればもう一度来れると思うんだ。店は何時から開けてるの?」
とプー横丁の営業時間を確認した後、他のメンバーと一緒に帰りました。

そして次の日の午前中、オープン間もないプー横丁にチャールズは1人でやって来ました。真っ先に「あんまり時間が無いんだ」と言ってから、それほど迷う様子でもなくブルースのLPを(4枚か5枚だったと思いますが)選んで「本当は他にも欲しいのがあるんだけど....」と言いながら、私がプー横丁のビニール袋に入れたレコードを嬉しそうに抱えて帰りました。

私の記憶が正しければ、その日の夜に京都で彼等のコンサートがあり、マップスさんのご厚意で公演後の打ち上げにも同席させて頂きました。20名近い参加者が幾つかのテーブルにバラバラに席に着き、チャールズとニックと私の3人が同じテーブルに座る事に。それから、彼等が初体験の鍋料理をつつきながら音楽談義に花を咲かせたのです。2人とも本当に色んな音楽を若い頃から聴いているようで「誰それは知ってる?」「トーゼン」「じゃあ、誰それの新譜はもう聴いた?」「聴いたけど、あれより何年前に発売された○○○の方が好きだな」「そうそう」というようなタワイのない会話をお互い飽きもせず延々続けてすっかり意気投合。話題がライ・クーダーのアルバムやギター・スタイルの事からデヴッィド・リンドレーのラップスティールの話に移った時、その打ち上げがお開きになったのを覚えています。

前述のアルバート・キングのアルバムを翌日の大阪公演の楽屋で手渡した時の彼の喜びようといったらなかったです。

6年ほど前、ケンタッキーのオウェンズボロで行われたIBMAウィークの時に参加者の大半が泊っているホテルの近くをお昼すぎに歩いていたら、私を見つけたチャールズが近づいてきて「これからロウリー(ルイス)とトム(ロザム)を誘って僕の車で近くのレストランに行くんだけどPOOHも良かったら一緒にどうだい」と誘ってくれました。彼の愛車であるでっかいキャデラックに乗って、車で数分の小綺麗なレストランへ。「ケンタッキー訛りがひどくてウェイトレスが何言ってるのか判らない事を除けば良いレストランだろ。ハハハ」と話していたチャールズの笑顔が今も思い出されます。

ホット・ライズのステージでは殆どヴォーカルをとる事もなく黙々とギターを弾いていた彼は、どちらかと言えば地味な存在でしたが、メンバーの中でも最もブルーグラスに精通していたのがチャールズだったとの事で、判らない事があると何でも「チャールズに訊け(Ask Charles)」という具合だったそうです。ブルーグラスとりわけスタンリー・ブラザーズの大ファンであるのと同時に、熱心なブルース・ファンでもあったチャールズ・ソウテル。

1946年生まれの彼の、早すぎる死は本当に残念でなりません。謹んで哀悼の意を表します。

 

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