これは、「三井ぱんと大村はん」の三井雅弘さんにお寄せ頂いた原稿です。 

 

  

『プー横丁』松岡さん〜40周年おめでとうございます!
40年前ということは、1973年…小生はクソ生意気な神戸の中学生でございました。あの当時…まだまだ音楽情報も少なく、良い音楽に巡り会う頼りとしたのは、ラジオであり近所の商店街のレコード屋さんでした。深夜ラジオで聴きかじったメロディを、レコード屋さんに行って「おっちゃん…こんな曲やねんけど…」と、合っているのかどうか分からない曖昧なメロディの一端を口ずさんだだけで「ひょっとしたら…この曲か?」とレコード棚からスッと出して聴かせてくれる。そんな音楽知識や情報に長けたレコード屋さんのオヤジさんに、尊敬と憧れの想いを持っていたのは言うまでもございません。
時代は巡り…そんな小生世代の尊敬と憧れの象徴的な "レコード屋さん" 『プー横丁』松岡さんとこういった形でお近づきになれるやなんて恐縮の極み。ましてや拙文を寄稿させていただくやなんて光栄なお話しでございます。
しかし…この3枚というしばり。マゾヒスティックな縛り…いいですねえ〜。快感は苦しみから生まれる…。音作りもある意味そんな所もあったりします。私事ながら…小生が2013年3月までやっておりましたFM京都のラジオ番組『Garyu's Bar』でも「ミュージシャンズ・セレクト・ミュージック」というコーナーをやっておりました。ゲストのミュージシャンの方に「あるテーマ」の元に「3曲選んで下さい」という宿題を課しておりました。これがまた妙でございまして。2曲ではモノ足らず…5曲では多すぎる…この3という数が妙なんですね。
此度の松岡さんからの「課題」を受けまして、この"3"を選ぶ難しさを思いしった次第です… と、大変前置きが長くなってしまいました。
まず…テーマは、あれこれ悩みましたが〜小生・三井を音楽世界へ導いたこの3枚ということで… (何度も言い訳しますが…苦汁の選択ではございますけれど)

  

  

まず1枚目は…

『浅川マキの世界』 / 浅川マキ

冒頭の話ではないですが、まさしく浅川マキさんはレコード屋さんで教えてもらった御方です。ラジオで聞きかじったメロディをお店で口ずさみ、レコード屋のオヤジさんに教えて貰ったのが浅川マキさんでした。
この後、神戸・新開地の東映映画館(おぼろげな記憶です)で開催されたマキさんの「始発まで…」(公演タイトルはこれやったと記憶しておるのですが…)という夜10時頃から朝5時までのコンサートに高校生の時に行き衝撃をうけました。黒よりも黒く…ブルースの禍々しさ…一筋の光…スポットライト…。あの頃からではないでしょうか…母国語で無い英語を歌うことに疑問を持ち始めたのは。
そして、浅川マキさんのように外国の曲を日本語詞で歌えるようになりたいと、仄かに思うようになった劇的な出会いであった様に思いますね。
その後三十数年経て…「三井ぱんと大村はん」のアルバムでマキさんの歌っていた日本語詞で「センチメンタルジャーニー」を歌わせて頂きました。その折には、マキさんから直接自宅に電話を頂き、歌詞の訂正のファックスまで頂き…我が家宝です。完成したアルバムを縁ある方の伝手でマキさんにお渡し出来たと思うのですが…。
マキさんはお嫌かも知れませんが…いまだに小生の歌の道標です。 

  

  

『Harvest』 / Neil Young(1972)

中学生の頃の教室は…歌謡曲音楽ファンは桜田淳子、南沙織と天地真理…僅かに残ったGSの残党…。それがクラスの6割で残り4割が洋楽党でしたな。
その4割の、これまた7割が解散して未だ余燼のくすぶるザ・ビートルズ派で2割がストーンズ派。残り1割のへそ曲がり…実はこれが小生。元々はビートルズもストーンズも好きで…というか大勢がそうだったので自然と耳にしたというのが正しいかも知れません。
周りが余りにもビートルズを礼賛しすぎるので少し煙たかった。なのでへそ曲がりは、記念すべきお年玉で始めて買った「LP」レコードは、サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」やったのです。
このアルバムも凄く良かったので一時期そればっかり(…それしか無かったので)聴いてましたが〜そのサイモン&ガーファンクルを上書きする曲をラジオで聴き衝撃を受けたのはニール・ヤング「孤独の旅路」でした。重苦しいイントロ…もの悲しいハーモニカ…哀愁漂う歌声。そこにビートルズでもストーンズでもサイモン&ガーファンクルでも無い何かを観たのでした。
早速例のレコード屋さんに走りなけなしのお小遣いからシングル盤を買い求めました。その時に件のレコード屋に…「アルバムもええで〜」と見せられたのが『ハーベスト』でした。そしてアルバムを手に入れたのは次の年になってからやったと思います。これ程わくわくしながらレコード針を落としたのは後にも先にも無いかも知れませんね。
そしてクラスの1割のへそ曲がりは堂々と「ビートルズなんておもろないで〜これからはニール・ヤングや!」と公言したのです。だけど誰にも見向きもされず…この良さを伝える為に…三井少年は…自家製Tシャツを作ったのです。ニール・ヤングの顔を白い体操シャツにマジックで描き、英語で「Neil Young」と描かれたTシャツを着てひと夏を過ごしたのでした。
勉強ノートの表紙や教科書には「Neil Young」と英語で大書し先生に怒られた事もありました。ニール・ヤングの英語綴りを覚えるのに「ねいる・ようんぐ」と覚えてたのは…この歳になっても変わりません。そんな「ねいる・ようんぐ」な中学時代を経て…高校大学と進学するうちに、周りの音楽ファンが「僕もニール・ヤング…大好きです」という話を聞くにつれ、「ねいる・ようんぐ」熱が醒めて離れてしまったのは"1割のへそ曲がり"やからでしょうか。
この歳になって…改めて ねいる・ようんぐを聴くと、あの頃分からなかった深みやらコクやらが分かってきて面白いもんです。ニール・ヤングの数あるアルバムの中でもやっぱり「ハーベスト」ですかね。

  

 

『Donny Hathaway Live』 / Donny Hathaway

3枚目はダニー・ハザウェイのライブ盤です。
これは高校生になってから聴いたアルバムですが、このアルバムの真価が自分の中で理解出来てきたのは大学で京都に来てからです。ちょうどバンドを始め、ライブを始めたころでしょうね。基本的にライブ盤が好きなのですが、中でもその演奏力からパフォーマンス…客席の雰囲気まで〜最高のライブ盤やないでしょうか。
かつて80年代に京都でファンクロックなITACHIというバンドをやっておりまして、今の小生がライブに臨む気持ちを形成した原点となるバンドです。「バンド」って何やろか?…「ライブ」ってなんやろか?…「音楽」って?…何てことを、頭で考えるより速く体に刻み込んで行った時代でしたね。そんな時ライブの「空気感」を目指す先に、必ずこのダニー・ハザウェイのライブ盤があったのです。…ダニー・ハザウェイみたいに客を導きたい…あのステージと客席の一体感を俺らも…みたいな感じでしょうか。未だにライブで迷った時はこのアルバムを聴きます。そしてまだまだ学びます。

てなことで…不肖・三井雅弘が選んだ3枚です。
長々と乱文・拙文 失礼いたしました!

最後に…いついつまでも、尊敬と憧れの「レコード屋のオヤジ」を続けて下さい〜
40周年! おめでとうございます!
Luck & Sun!

  

2013年の40周年記念ページへ戻る

プー横丁HPのトップページ

プー横丁の買い物かごサイトShop at Pooh Corner

2003年の30周年記念ページ

POOHの世間話コーナー