これは、萩原健太さんに送って頂いた原稿です。 アルバムのジャケットはこちらで用意させて頂きました。

 

 1973年。プー横丁が誕生したという記念すべき年。ぼくは高校生だった。そして、ジェームス・テイラー三昧の日々を送っていた。

 1970年に出た『スウィート・ベイビー・ジェームス』、71年の『マッド・スライド・スリム』、そして72年の『ワン・マン・ドッグ』。この3点セットを毎日毎日、飽きることもなく聞き続け、一所懸命ギターをコピーし、歌詞を読み、ジャジーでブルージーでソウルフルな歌心を浴び……。ジェームス・テイラーから学んだことは本当に深く、幅広かったなと、今振り返って思い知る。特に72年暮れにリリースされた『ワン・マン・ドッグ』。このアルバムにはまいった。ハマった。当時ジェームス・テイラーのバック・バンドをつとめていたザ・セクションとの組み合わせにも胸が躍った。

 『ワン・マン・ドッグ』のジャケット裏に彼らのセッション風景の写真が載っていた。周囲を白木で囲まれたログ・ハウスのような家の広い屋根裏部屋。大きなモニター・スピーカーが宙吊りになっていて、その下にジェームス・テイラーと、ザ・セクションの4人――ギターのダニー・コーチマー、ドラムのラス・カンケル、ベースのリーランド・スクラー、キーボードのクレイグ・ダーギという名手たちが無造作に輪になり、楽しげにレコーディング・セッションを繰り広げている。リラックスしたミュージシャンどうしの雰囲気が、高校生だったぼくには心底、理想的な関係に思えたものだ。

 プー横丁の常連さんたちには今さら説明の必要もないことだろうけれど。ジェームス・テイラーがシーンに華々しく登場したのは1970年。ラヴ&ピースを合言葉に誰もがロックという旗印のもとで連帯できるんだ、という熱い幻想が蔓延していた60年代後半も過ぎ去り、幻想が幻想でしかなかったことを人々が思い知りはじめたころ。ジェームス・テイラーはより個的で内省的な自作シングル「ファイア・アンド・レイン」をリリースし、全米で大ヒットさせた。翌71年には、友人であるキャロル・キング作の「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を取り上げ、ストレートに“君”と“ぼく”だけの関係を歌って全米ナンバーワンの座に輝いた。彼が歌っていたのは常に“個”。鎮静しつつあった時代の気分をぴったりと言い当てていた。それだけに、ジェームス・テイラー&ザ・セクションは通常ぼくたちがイメージするバンドのように密すぎる関係性を持つわけでもなく、かといってバラバラというわけでもなく、さりげない、クールなつながりの中で、しかし緻密かつ緊密な音作りを聞かせてくれていた。そのさまが、当時のぼくの目にはやけにかっこよく映った。

 そんなジェームス・テイラー&ザ・セクションの初来日公演がまさに1973年だった。アルバイトをしてお金を貯めて、東京公演すべてに通い詰めた。これがぼくのジェームス・テイラー熱を煽った。ジェームス・テイラーはヒット曲を連発していたビッグ・スターだったはずだし、セクションの面々も売れっ子の凄腕セッション・ミュージシャンだったはずだし。にもかかわらず、当時、彼らが織りなしていた音には、生っぽさ、あたたかさ、そしていい意味でのアマチュアリズムがあふれていた。それが何よりも胸に響いた。

 ところが、翌74年になると、何かが変わり始めた。ジェームス・テイラーが74年にリリースしたアルバム『ウォーキング・マン』には、もうセクションのメンバーは参加していなかった。ラス・カンケル&リー・スクラーではなく、リック・マロッタ&アンディ・ムゾンがより洗練されたグルーヴを、そしてダニー・クーチではなくデイヴィッド・スピノザが、より職人っぽいオブリガードを提供していた。楽器自体が変わったせいもあるのだろうが、ジェームス・テイラーの生ギターの響きさえもが、ぐっと冷ややかなものになった。そこには、もはや麗しいアマチュアリズムは感じられなかった。

 エリック・アンダースンの『ブルー・リヴァー』(72年)から次作『ビー・トゥルー・トゥ・ユー』(75年)への変化をここに重ね合わせてもいい。他にも例には事欠かないのだけれど。とにかく、1974年を境にアメリカの音楽シーンは大きく変質した。この辺について詳しく語り出すととんでもない字数になってしまう可能性もあるので、別の機会に譲るけれど。要するに、よりビジネスに徹したシーンへと変わったというか。シンガー・ソングライターたちの“個的”な世界ですら、メジャーなレコード・ビジネスにおいてはより完璧な商品たることを要求され始めたというか……。

 そういう意味でも、1973年。まだ、アメリカ音楽を取り巻くビジネス界がいい意味でのアマチュアらしさを尊重/許容することができた最後の年だったのかもしれない。そんな、ある種ぎりぎりの年にプー横丁が誕生したというのはなんだか象徴的だ。東京に住むぼくはまだプー横丁を訪ねたことがないだけに、あまり偉そうなことは言えないものの。でも、なんとなくわかる。きっとプー横丁にはまだ1973年の空気がある。プー横丁を起点に発信される様々な音楽に接するたびにそう確信する。音楽ビジネスの世界がすっかり忘れ去ってしまったかのように思える佳き時代の手触りは、しかし今なおプー横丁に息づいてくれているのだ。

 30周年、おめでとうございます。
 

 

30周年記念ページTOPに戻る

2013年の40周年記念ページ

プー横丁HPのトップページ

プー横丁の買い物かごサイトShop at Pooh Corner

POOHの世間話コーナー