POOHの世間話コーナー

ウッドストックに行ってきました/その6 最終回

 そうこうするうちにトム・パチェコから電話連絡があり「家で待ってるので、いつ来てくれてもいい」との事。程なくアーティの車で着いたトムの家も裏手は森の木立が続くというような、住まいの周囲に自然が一杯のロケーション。家の表でジャレつく愛犬の相手をしていたトムは到着した我々を見つけて「やぁ」と手を振っています。近づいて握手し合い、庭に置かれた白いテーブルの周りに座ると「何か飲むかい? ジュースなら色々あるけれど」とトム。「何でもいいよ。どうぞお構いなく」とアーティ。トムが家から運んでくれたジュースを飲みながら、前夜のガース・ハドスンのコンサートの事(「行きたかったんだが、昨日までツアーに出てたのでね」とトム)や、スライス・オブ・ライフでリリースした彼のアルバム『ノーバディーズ』の事、「コロニー(Coloney)というウッドストックにできた新しいライヴ・ハウスに近々トムが出演する」といった事など、15分ほど話してアーティは「僕は一旦家に戻らないといけないけど1時間ほどしたらまたPOOHを迎えにくるので....」と言って帰って行きました。

 で、1人残された私ですが、凄く緊張しました。それまで3人で話してた時もアーティは少し冗談っぽい事も言うのですが、トムは一切ジョークなし。終始ゆっくりと例の渋い声で受け応えしているだけだったのです。これまでの手紙やファックスでのやり取りでは時々ひょうきんなイラストが書き加えられてあったりした事もあり「割とフランクな感じの人なのではないか」と会う前までは想像していただけに、ハッピーやアーティ達と話してる時と雰囲気がまるで違うトムを前に「2人だけになってこれから何の話をしよう」って感じで、ドキドキものでした。パニックになりそうな頭を「(落ち着いて)考えろ、考えろ」と、まるで映画『ダイ・ハード』1作目の中で主人公が「Think, think」と自分に言い聞かせてるシーンのような気持ちでした。そんな私の様子が彼にも見てとれたのでしょうか。「少し風が強くなってきたし、中で話しようか」とトムが言い、前庭から家の中へ。

 室内に入ると「ここは元々はデヴィッド・サンボーンの家だったんだ。ウッドストックに戻った時にこの家を手に入れて、今はメス犬のリリー(Lily)とオス猫のエンジェル(Angel)と女房と一緒に住んでる。あの犬は、いつもあんなにはしゃいでるけどメスなんだ。お転婆で困るよ」「ここが私の部屋で毎日ギターを弾いたり、曲を書いたりしてる」「家の中を案内するよ。ついておいで。....ここがリヴィング・ルームで、あっちがダイニング。今日は女房は留守なんだが、POOHが来たら宜しくと言ってたよ」などと、プライベートな話をして私をリラックスさせようとしてくれているようです。お陰で少しは緊張がほぐれた私は「もう1杯ジュースはどうだい? あっちの部屋に戻って私の作詞ノートを見せてあげよう」と言ってくれたトムに「作詞ノート? それは凄く興味があります。是非、見せて下さい」と自分の「意見を主張」しました。

 30畳くらいはある彼の書斎&仕事部屋は、先程の前庭が見える大きな窓にぴったり接する形で大きな机(アルバム『THE LOST AMERICAN SONGWRITER』の中で「view through window by my writing desk」と書かれ、写真が載っている窓と机です)がありました。すぐ側にはマーティンのギターと、もう1本は特に有名なメーカーのではなさそうなギターがギタースタンドに置かれています。「何か歌おうか。次のアルバムの為に作った曲があるんで、聴いてくれるかい」「喜んで」マーティンじゃない方のギターはオープン・チューニング(どうやらオープンCチューニングのようです)でピックを持って弾き出した彼は(恐らくいつもライヴで歌うのと同じヴォリュームで)力強く歌い始めました。部屋中に響くヴォーカルは、まさにトム・パチェコのそれで、彼の弾き語りアルバム『BARE BONES AND BARBED WIRE』を生で聴いている感じでした。

 2、3曲歌った後で、彼が話し始めました。「曲は大抵夜中に作るんだが、深夜に1人で作曲しているとリック(・ダンコ)が向こうの方から前庭を横切ってやって来るんだ。勿論、前もって約束もしてないし、連絡もない。突然やって来るんだ。そしてこのガラス窓に顔を押し寄せてコンコンって窓をノックするんだ。彼のあの人なつっこい笑顔を見せながら『入っていいかい?』って表情で覗き込んでコンコンってやるんだ。ドアを開けると君が今座っている椅子にリックは座って..」「この椅子ですか?」「そう、その椅子に座って彼が私の曲を聴いたり、彼の歌を私が聴いたり、2人で歌ったりなんていうのが明け方まで続くのさ。リックの晩年はそんな事が頻繁にあったので、私は彼に私がここに居る事を知らせる為にこの窓の外のすぐ横のドア灯にいつも灯りをつけていたんだ。そしたら敷地に彼が足を踏み入れた途端、私が居る事が判るだろう? 彼が亡くなった時は凄くショックで何も手につかなかったけれど、10日ほど経ってその事を歌にした。次のアルバムに入れたいと思っている」と言って、その曲「A Light On For You」を歌い始めました。

 目の前に広げられた作詞ノートのそのページには12月21日という日付けが記されています。その手書きの歌詞を見ながら彼の歌を聴いていると、来日時のステージで「It Makes No Difference」を歌った時や映画『ラスト・ワルツ』の中でのリック・ダンコの姿を思い出し、真夜中にトムの家を訪れた時のリックの表情を思い浮かべると胸に迫るものがあり、私の目から涙が溢れました。そして幾度か繰り返されるシンプルな言葉で綴られたリフレインの歌詞を聴くうちに、不覚にも身体を震わせて「サメザメと泣く」といった状態になってしまい、涙が止まらなくなったのでした。勿論、私の「この変化」にトムは気づいていた訳ですが、歌うのを止めたりはしません。最後まで歌い終えたトムに「貴方の歌を聴いていたらリックの事を思い出して泣けてきたんです。彼が亡くなって本当に残念です」と涙声で言うと「Pooh, you are a special guy」とトムが言いました。そして彼は机の上に広げてある彼の作詞ノートのその曲の歌詞を指でなぞりながら1行ずつ読んでくれました。その時も再び涙がこぼれました。それから、もう1曲マーティンのギターで歌ってくれた後、程なくしてアーティが迎えに来ました。ユージーンも一緒です。アーティがユージーンをトムに紹介し、私は「どうもありがとう。とても楽しかったです。さっきのリック・ダンコに捧げた歌、是非ニュー・アルバムに入れて下さい。リリースを楽しみにしてます」とお礼を言ってトム・パチェコ宅を後にしたのでした。

 トム・パチェコ宅からの帰り、アーティとユージーンと私の3人は食料品店に寄って今晩のディナーの為のお買い物。ビヴァリーから頼まれたメモを見ながらパスタやフランス・パンやワインをカゴの中へいれるアーティ。夕方の店じまい時に沢山買い込んだので、少し値段をまけてもらったようです。アーティの家に戻ってビヴァリーが夕食の準備。それを手伝うアーティが「POOHとユージーンは料理が出来るまでリヴィングでリラックスしててよ」と言うので、アーティの新譜のアドヴァンスCDRを聴く事に。ソファーにもたれながら、その心地よいギター・インストを聴いているうちに私はウトウトしてしまいました。ふと気が付くと15分ほど眠っていたようです。ユージーンが「疲れてるんだな、POOH。もうすぐ夕食の用意ができるようだよ」と私の顔を覗き込むようにして微笑みながら言いました。ビヴァリーさんの絶品といえるパスタ料理にワイン。限りなく下戸に近い私は「もう1杯どう?」と勧めてもらったワインを「またすぐに眠っちゃうと後で来るハッピーやジムに悪いから」と断りました。そうです。今晩は私のウッドストック最後の夜だというので、ハッピーとジェーン、それにジム・ウィーダ−夫妻も後でやって来てくれるのです。

 食事が終わってすぐ位に、ザ・バンドの現リード・ギタリスト、ジム・ウィーダ−と奥さんのクニコさんが到着。2人とも幾度か電話で話した事はありますが、実際に会うのは初めて。挨拶を済ませてジムに「最近どう? なんて事を訊くと、やはりザ・バンドとしての目立った活動はなくて、彼のバンド『ジム・ウィーダ−&ホンキー・トンク・グールーズ(Jim Weider & The Honky Tonk Gurus)』としてのライヴ活動が中心との事(追記: 彼の最近のライヴ・スケジュールをチェックすると毎月コンスタントに全米各地で演奏していてかなり忙しそうです)。ジムがアーティ達と話してる間は、もっぱらクニコさんとおしゃべり。「木曜日の深夜にウッドストックに着いてから、ずっと英語ばかりでやっと日本語で会話できる相手が現れてこんな嬉しい事ないです」みたいな事を言うと「私も久しぶりですよ」との事。で、ジムとの馴れ初めの話を聞いたりしました。

 そうこうするうちにハッピーとジェーンも到着。人数が増えたのでダイニングからリヴングに移動して皆んなでワイワイとよもやまの話。ユージーンが「ところで、最近抜群の男性4・5人のブルーグラス・ゴスペル・バンドを見たんだけど、凄く感動した。アカペラでも歌ったんだけど、とにかく素晴らしかった」と言いました。 皆んなが「何ていうグループ?」「それが全然思い出せないんだ」するとハッピーが「ユージーンをそれだけ感動させたんならドイル・ロースン&クィックシルヴァー (Doyle Lawson & Quicksilver) かな」と言って私を見るので「サード・タイム・アウト (3rd Tyme Out) かもしれないよ。彼等も頻繁にツアーしてるから。リード・ヴォーカルはラッセル・ムーア (Russell Moore) っていうんだけど、メンバーの名前は覚えてないの?」と訊くと、ユージーンは「覚えてないんだ。あっ、でも真ん中に1人年寄りが居たな」それを聞いてハッピーと私が同時に「じゃあドイル・ロースンだ」。で、一同爆笑。それから「来週からハッピーがコンサート・ツアーで日本に行くんだよね」「そうなんだ。20年以上ぶりだよ」なんて話も出たのですが、その頃にはたった1杯にもかかわらず、さきほど飲んだワインが私の体中を駆けめぐっていて、再び睡魔に襲われそうになってきていました。ハッピーが「もう10時過ぎだし、POOH が眠そうだ。明日の午前2時半に車を予約してあるし、帰り支度してから仮眠もとった方がいいだろうから、ぼちぼちお開きにしようか」と言って、皆んな並んで幾つかのカメラで記念撮影をしてお開きとなりました。

 ハッピー宅に戻って帰り支度をし、数時間仮眠をとって午前2時に起き、来た時と同じタクシー会社の車で空港へ。そして、いつもと同じ窮屈なエコノミー・クラスのシートに座り、10何時間の空の旅を経て「時差ボケと共に」日本に戻って来たのでした。

 木曜の深夜に到着し、日曜の早朝には帰途の飛行機の中という、実質は金曜と土曜のたった2日間の「ウッドストック滞在」でした。ハッピーに案内されてウッドストックのメイン・ストリートをウィンドウ・ショッピングしていた時に「2001年の今年、ウッドストックに初めて来れて凄く嬉しいんだけど、1970年代のあの頃に1度だけでも来れてたら凄かっただろうなぁと思う」というような、音楽ファンとしての本音をポロッと言った事があります。するとハッピーは「70年代当時は確かに今より活気づいていたかも知れない。何より皆んな若かったしね。今はここを離れているミュージシャンもあの頃はここに住んでいた。ポール(バターフィールド)のように亡くなったミュージシャンもいる。でもね、僕等ミュージシャン同士のつながりは、その頃も今も変わらずずっと続いているんだ。ウッドストックの自然と同じようにね」と言いました。その言葉が今も心に残っています。

 

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