POOHの世間話コーナー

ウッドストックに行ってきました/その5

 

 ゆうべガース・ハドスンのコンサートが終わってハッピーの家に戻ってから着替えてベッドに潜り込んだのは午前2時近かったと思うのですが、ふと目覚めて時計を見ると朝の7時半過ぎ。小鳥のさえずる声が聞こえ、窓越しに見える森の緑が風に揺れています。(途中で起きる事なく)連続して眠れたので、眠り足らないという感じではなく気分も上々。8時頃から1階で物音がし始めました。ジェーンさんでしょう。私はシャワーを浴びたりして、9時ちょっと過ぎに1階に降りて、ジェーンさんに「おはよう」。「おはよう。よく眠れた?」「もうグッスリ」「それは良かった。ハッピーもそのうち起きて来るでしょう。ベーグル・パンがあるの。コーヒーにする? それともPOOHはジュースがいい?」といった会話があって、ベーグルにバターやらジャムをつけてカフェ・オレで朝食。

 前夜のコンサートの事などを話してたら、髪もクシャクシャで「今起きたばかり」といった様子のハッピーが白いガウン姿で登場。ハッピーはブラック・コーヒーでベーグルを食べながら、3人で再びガースのコンサートの話に。食事が終わる頃、ハッピーが唐突に「POOH、食事が終わったら来週からの日本ツアーのコンサートで使う日本語を教えてくれないか?」「日本語ってステージで話す為の? 例えば『私はハッピー・トラウムです』とか『次の曲は何々です』とか、そんなやつの事?」「そう。丁寧な話し方の日本語を教えて欲しい。来てくれるファンに失礼な印象を与えたくないんだ」「勿論。それじゃあ日本語でしゃべりたい事をハッピーの方から挙げていって」「まず、I am Happy Traum だろ。それと、I'm very glad to be here in Japan だろ。それから.....」と、幾つかの文章を紙に書き出し、それらに対応する出来るだけ簡潔な日本語を私が話し、ハッピーが「Watashi wa Happy Traum desu」というようにメモしていく、といった形で30分ほどダイニング・テーブルを挟んでハッピーと「日本語のおけいこ」。さすがミュージシャンで(音感が良く)、私の言う通りにリピートする事は、教え始めた最初からメモを見なくてもほぼ出来ています。ハッピーの覚え方が興味深いのは、丸覚えじゃなくて例えば「とても嬉しい(very glad)」と教えると「『very』に当たるのは『トテモ』の方か『ウレシイ』の方か」と私に訊ねるのです。そして文章全体のイントネーションもラインを引くなどして、細かくメモっていました。「OK、日本に行くまで必死で練習するよ。で、ジェーンと僕は、前から言ってたように今日は知り合いの結婚式に出席するんで午後から外出するから、POOHをアーティの家に連れて行く。今日は午後から終日アーティがPOOHの面倒をみてくれると思うよ。でも、まだ時間があるし、ウッドストック市内を僕の車であちこち案内してあげよう」「それはありがたい」という訳で、ジェーンと3人でハッピーの車でドライヴに行く事になりました。

 車に乗ってから暫くして、いきなりハッピーが「もうすぐボブ・ディランが66年にオートバイ事故に遭った場所だよ」と言いました。「えっ、ほんと?」と私。「....ほら、たった今通り過ぎたところだ」と説明されたポイントは何の変哲もない舗装された細い道路でしたが、一瞬私の思いは1966年7月にワープしました。それから、ベアズヴィル・エリアの北西にあるク−パー湖(Cooper Lake)や、ハッピーや彼の仲間がピクニックに行く山の中の平地で通称Great Meadowという所へ。「POOH、他にどこか行きたい所はあるかい?」と訊かれたので「ウッドストック・マウンテンズ・レビューの『PRETTY LUCKY』のアルバム・ジャケットの風景が見える所は、ここから遠いの?」「あれは何処から撮影したんだったかなぁ。写真を撮ったのは僕じゃないんで、よく知らないんだけど、でも、まぁもっと高い所に行けば、いずれにせよ似たような景色は見れるよ。行ってみよう」と、キャッツキルの山々が見下ろせる所まで連れて行ってくれたのです。そこからの眺めも含め、ウッドストックの雄大で美しい景色の数々を実際に見るにつけ、ここに住む多くのミュージシャンやアーティスト達はこのウッドストックの美しい自然を愛し、その豊かな自然を日々の生活の中に感じながら今も暮らしているんだろうなぁと思いました。「ハッピーやハッピーの知り合いのミュージシャン達がウッドストックに移り住んでから作ってきた音楽は、ここの美しい自然と深くつながっているんだろうね。来てみて僕は凄くそう感じたよ」「その通り。ウッドストックの音楽は、この自然と小さい町ならではの仲間意識なしには語れないよ」とハッピー。

 それからアーティ宅まで送ってもらうと、ユージーン・ラフォロが来ていました。ユージーンはニューヨーク在住のシンガー・ソングライター&アコースティック・ギタリストで、2001年1月カリフォルニアのアナハイムで開催されたイヴェント「NAMM SHOW」でアーティから「僕等の新しい仲間、ユージーン・ラフォロだ」と紹介され、知り合いました。同イヴェント会場のテイラー・ギターのブースに併設されたステージでの彼のソロ演奏も見ましたが、とても良かったです。まだ30代後半の彼は「10代の頃に一番影響を受けたのがジェイムズ・テイラー」と言い、その確かなフィンガースタイル・ギター・プレイのテクと、ハンサムな風貌からも感じられる少し甘いヴォーカルが素晴らしいナイス・ガイ。今回のウッドストック行きの事を知らせたら「是非会いたい」と言ってくれ、午前中にあったニューヨークでの用事を済ませて車を飛ばしてアーティ宅にやって来てくれたのでした。

 「リヴィング・ルームでダベろうか」とアーテイに促され、我々3人は居間に移動。すると、そこに置いてあるアーティのギターをユージーンは手に取って、ドロップDチューニングにしてスティヴン・スティルスの「4+20(CSN&Yの『DEJA VU』に収録)」を歌い始めました。スティルスの同曲は本当はDADDADチューニングで演奏されているんですが、ユージーンはドロップDのフォームで巧みにアレンジして歌っています。彼が歌い終わって『DEJA VU』の事や3人で当時の音楽シーンの事なんかを話し、はずみで私が「僕もギター弾いてもいい?」と言うと、アーティがユージーンに「POOHとは長い付き合いだけど、ギター持ったところなんて見た事ないぞ。何を歌うんだい?」と少しおどけたように言いました。「じゃあニール・ヤングの初期の歌を」と言って『HARVEST』に入ってる「Old Man」を歌いました。ニール・ヤングが24歳の時に作った曲で、だから最初の方に「Twenty-four and there's so much more(24歳ならまだまだ先は長いよ)」という歌詞があるのですが、その箇所だけを私の実年齢に置き換えて歌ったら2人にウケて、面白がって最後まで聴いてくれました。それから、アーティが2階からもう1本ギター(ハワイアン・コア材を使ったシングル・カッタウェイのテイラー・ギター)を持ってきて、ユージーンがニール・ヤングの「HARVEST」を歌い、アーティはギターでバッキングを担当。私は調子に乗って上のパートをハモッたりしました。

 何曲か歌ってるとビヴァリーさんが「お茶が入ったから、軽い食事にしましょう」と我々をダイニング・テーブルへ。食事の後に「デザートに自家製のシャーベットが作ってあるんだけど、ユージーンもPOOHもどう?」「是非とも」と言って出してもらったオレンジとブルーベリーのシャーベットの美味しかった事。特にブルーベリーは絶品で、3人ともすぐに平らげ「まだ沢山あるけど、お替わりの欲しい人?」とビヴァリーに訊かれ「ハイッ」と同時に手を挙げた我々3人でありました。デザートも食べ終えておしゃべりするうちにアーティが今録音中のヴォーカル・アルバムの話になり、ユージーンも参加したビヴァリーさんお気に入りの曲を「私に聴かせて」と彼女がリクエスト。ユージーンは持ってきた自分のギターをケースから取り出して、ダイニング・テーブルでアーティとユージーンのデュエット。素晴らしかったのは言うまでもありません。

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