POOHの世間話コーナー

 マーティン・テイラー

 マーティン・テイラー(Martin Taylor)は、ステファン・グラッペリとの共演アルバムをはじめ、好ソロ作をリリースしているジャズ・ギタリスト。プー横丁のカタログでは、デヴィッド・グリスマンと共演したデュエット盤『TONE POEMS 2』やマーティン・テイラー/デヴィッド・グリスマン・ジャズ・クァルテット名義のアルバム『I'M BEGINNING TO SEE THE LIGHT』でお馴染みの彼ですが、1月下旬レコーディングの為に来日していたので、会ってきました。

 マーティン・テイラーとは、デヴィッド・グリスマンのレーベルから前述のアルバムを2枚出してる関係で、グリスマンの方から紹介があり、2年ほど前から手紙のやりとりをしていました。マーティンの最新作の『NITELIFE』および前作の『KISS AND TELL』が、いずれもメジャーのソニーから発売された事もあり、この数年ほとんど毎年のようにコンサート・ツアーで来日もしていたのです。でも、(私の記憶が正しければ)関西での公演はなく、昨年来日の時も他の演奏家との共演も含め全5公演ありましたがコンサートは東京で行なわれただけで、これまで会う機会はありませんでした。で、彼が1983年に録音したソロ・アルバム『SKETCHES: A TRUBUTE TO ART TATUM』というアート・テイタム作品集を、彼と彼のマネージメントをやっている息子のジェイムズ(だから名前はJames Taylor)が立ち上げた自主制作レーベルで昨年リイシューしたんですが、それをプー横丁で取り扱う事になったんです。約20年前の若きマーティンの驚愕のテクニックとセンスを余すところなく伝える素晴らしいアルバムで、既に買って頂いた方の評判も上々。ホームページでもご紹介してますので、ご覧になってみて下さい。

 で、1月のある日「日本に行く事になったので是非会いたい」との連絡が突然ジェイムズから届きました。これまではマーティン単独の来日でしたが、今回は初めて息子のジェイムズも同行するとのこと。しかも、1週間の来日で東京のスタジオでレコーディングをする旨を聞いていたので、私も興味津々。「平日は行けそうにない」と知らせたら「最終日の日曜日でもOK。午前11時にホテルに来てくれたら、レコーディングも見学してもらえる」との返事でした。2つ返事で「じゃあ、その日11時にホテルのロビーで」と約束しましたが、彼等の宿泊している東京港区の某ホテルに午前11時に確実に到着する為には、朝7時台に京都発の「ひかり」に乗らないといけません。結局、当日は5時過ぎにセットした目覚まし時計の「情け容赦のない音」に起こされ、7時発の新幹線に乗車。前夜自宅で仕事をしていた私は眠ったのが午前3時前でしたので、東京着までの2時間半ほどはずっとウトウト。東京駅からホテルまでは事前に聞いていたよりも時間がかからず、約束の時間よりも随分早く着きました。持参の本を読んで30分余り時間つぶしをしてから、ジェイムズの部屋に電話して「ロビーで待ってるからね。マーティン・テイラーのCDジャケット持って立ってるのが僕だ」「そいつは判り易い。5分でそっちに行けるから、待ってて」「OK」って事で、程なく対面。

 初めて会ったジェイムズ・テイラーは(恐らく30歳代と思いますが)20代後半でも通じるくらいの容姿で、やや細身のハツラツとした好青年です。彼等のレーベルでディレクター&事務担当の女性、アリスンさんも今回同行していて、互いに自己紹介し合ってホテル内の喫茶室へ。彼等が住んでいるスコットランドの事や「東京がこんな大都会だと思わなかった。京都も同じ感じ?」「京都の市街地には高いビルディングもあるけれど、東京都内に較べたら全然少ない。今回はレコーディングが終わったら直ぐに帰るの? 京都に寄る時間は無いの?」「そう、月曜日の朝の便で帰るんだ。火曜日からまた仕事」なんて話、それに今回のマーティンのレコーディングの話も聞きました。前もって知らされていたのは、今回のレコーディングがNHKの4月から始まる朝の連続テレビ小説『さくら』のテーマ音楽の為だという事だけでした。で、その事をジェイムズにもう少し詳しく訊くと、そのテーマ音楽を作曲した小六禮次郎(ころくれいじろう)氏がサキソフォン・プレイヤー須川展也(すがわのぶや)氏の起用を決めた時に「ギターとのデュエットを入れたい」という話になり、昨年9月に須川氏と東京公演2回で共演した「マーティン・テイラーが良いのではないか」って事で決まったそうなんです。私は門外漢で小六禮次郎氏や須川展也氏のお仕事の事を詳しく知らなかったんですが、小六氏はNHKの大河ドラマ『秀吉』や朝の連続ドラマ『天うらら』、更には大ヒットしたゲーム・ソフト『決戦』のサントラを手掛けるなど、幅広く活躍されている作曲家。須川氏はクラシック・サックス奏者の第一人者だそうです。

 今日は正午に日本人スタッフの人が迎えに来て、それからレコーディング・スタジオ入りという予定だったのが、朝10時からに変更され、既にマーティンはスタジオに行ってるとの事。それで我々3人は都内の某レコーディング・スタジオへ。到着すると、ちょうど午前中の録音が終わってスタッフの皆さんが休憩していて、割とリラックスした雰囲気の中でマーティンと初対面。オールバックで後ろで束ねたロングヘアーだった以前に較べれば髪も短かくなって少し痩せた様子の彼は、表情によってフランスの映画俳優ジャン・レノにも似ていて、それまで持っていた私のイメージと少し違っていました。「やあ、会えて嬉しいよ。きみの事はデヴィッド・グリスマンや彼のマネージャーから聞いてたよ。今日は京都から来てくれたんだね。朝7時の新幹線に乗って?そいつは凄いな」「レコーディングはどうですか?」「うん、上手くいってる。須川氏と共演するのは初めてじゃないし、スタッフも親切だよ」なんて話をしてたら「じゃあ、そろそろ始めましょうか」という声がかかり、皆んなでスタジオに。我々3人はレコーディング卓のあるミキサー室に入り見学。マーティンは録り直し箇所の確認などプロデューサーからの指示を楽譜を見ながら通訳の日本人スタッフの方を通じて真剣なまなざしで聞き、須川氏と共にレコーディング・スタジオの方へ。位置についたマーティンの姿はミキサー室のガラス越しと、その上に壁にかかっているモニターTVでも映されています。後で聞いた話ですが、今回のレコーディングはNHKの4月から始まる朝の連続ドラマ『さくら』のテーマ音楽だけでなく、ドラマ開始後に発売される予定の『さくら』のサントラ盤用のマーティン参加の部分も滞在中の1週間で録音を完了するという事で、かなりのハード・スケジュールだったようです。私が見学させてもらった時の作品はスローなテンポの美しい曲でした。ギターとサキソフォンのユニゾンで演奏されるパートがあるのですが、後半に出てくる3連譜がなかなかピッタリと合いません。「もう1度お願いします」「もう1回やってみようか」とプロデューサー氏に促され、何度か繰り返すうちに「はい、オッケーです。1度テープ聴いてみましょう。マーティンさんもこちらにいらっしゃって下さい」とテープをプレイバックしたものが最終OKとなり、1トラック分の最終レコーディングが完成。こんな大きな録音スタジオでのレコーディングを見学するのは初めての私は、ピーンと張り詰めたスタジオ内の雰囲気に少し緊張しながらも興味深くマーティンの動きを見ていました。レコーディング最終日の今日は、その後も細かなパートの録り直しが幾つもあるようで、暫くするとジェイムズが「今のうちに食事に行こうか」と言い出し、アリスンさんと3人で近くのレストランへ。食事中にも色んな話題が飛び交ったのですが、話すうちに意外な交友関係を知りました。あのギャラガー&ライル(Gallagher & Lyle)とマーティン達は親しいそうなんです。ギャラガー&ライルと言えば、1970年代に活躍した英国のフォーク・デュオ。彼等の73年作『WIILIE & THE LAP DOG』は、同年プー横丁がオープンして間もない頃に入荷し、多くのお客さんにお薦めしたので、特に印象に残っています。アート・ガーファンクルが彼等の曲「Breakaway」を録音し、アルバム・タイトルにまでした『BREAKAWAY』を75年に発表、シングル・カットされた同曲は大ヒットしました。その余勢をかって(?)彼等も翌76年に同じタイトルの『BREAKAWAY』をリリース。デビュー当時の彼等と比較すれば、かなりポップな音作りのアルバムでしたが、私はこれはこれで気に入っていました。話が70年代のシンガーソングライターの事になったので「その頃のアーティストで一番好きなのは誰?」とジェイムズに訊ねると「ジョニ・ミッチェルとジェイムズ・テイラー」と即答。「JTは僕と名前が同じだからじゃないよ」と付け加える彼。「じゃあ、その2人のアルバムで一番最初に手に入れてよく聴いたアルバムは何?」と訊くと「ジョニは『HEJIRA』('76)、JTは『GORILLA』('75)だね。POOHは?」「僕はジョニは『BLUE』('71)でJTは『MUD SLIDE SLIM』('71)だよ。3作目の『MUD SLIDE SLIM』を聴いてノックアウトされて直ぐに2作目の『SWEET BABY JAMES』('70)を買ったのを覚えてる」

 食事を終えスタジオに戻ると、既に作業は進んでマーティンが参加するトラックの最終レコーディングが終わったところでした。再び「オッケーです。テープ聴いてみましょう。マーティンさん、どうぞこちらに」と小六氏からの指示があり、テープをプレイバック。「オッケー。これでマーティンさんの録音は全て終了。お疲れさまでした」となり、マーティンもホッとした表情。それから、その場にいたスタッフ1人1人にマーティンはお礼を言い、我々4人はホテルへ戻りました。その日の夜に日本のソニーのスタッフとの会食があって彼等がホテルまで迎えに来るとの事でしたが、まだ時間があるので「お茶でも飲みながら話しよう」とマーティンが提案し、喫茶店に。「全てのレコーディングが終わって今の感想は?」と訊くと「ホッとしてるよ。私はジャズ・ギタリストだから、即興演奏よりも与えられたフレーズをその通りプレイする事の方が多かった今回のレコーディングは殆ど初めての事だった。だから、最初はその事に慣れるのに時間がかかったけれど、良い経験になったし、楽しかったよ」とのこと。調子にのって私は、以前から訊きたかった事を質問してみました。
POOH「貴方はデヴィッド・グリスマンのレーべル、アコースティック・ディスクで2枚アルバムを発表している訳ですが、グリスマンとのレコーディングはどんな感じでした?例えば『TONE POEMS 2』の時は?」
MARTIN「とても簡単さ。用意した曲を1曲ずつ、大体のアレンジとお互いのソロの順番を決めて、即レコーディングという感じだ」
P「マーティンテイラー/デヴィッド・グリスマン・アコースティック・ジャズ・カルテットのプロジェクトは、どういうきっかけで決まったんですか?」
M「『I'M BEGINNING TO SEE THE LIGHT』の事だね?」
P「ええ、そうです。オファーを出したのはグリスマンから?」
M「確かそうだったと思う」
P「どの曲をアルバムに収録するかは、グリスマンと貴方どちらが決めたんですか」
M「私が提案したものもあればグリスマンがやりたいと言ったものもある。いずれにせよ1920年代から40年代に作られた作品から我々がやりたいと思うものを選んだんだ」
P「ジャズの黄金期のスタンダード作品を選んだという訳ですね」
M「その通り」。

それからマーティンはカバンから写真や雑誌の記事の切り抜きを入れたバインダーを取り出し、見せてくれました。彼が関係している音楽フェスティヴァルの写真、オーストラリアのギタリスト、トミー・エマニュエルと共演しているステージ写真やスティーヴ・ハウ(あのロック・グループ、イエスのギタリスト)の記事もあります。トミー・エマニュエル、スティーヴ・ハウのどちらとも親しいんだそうです。話し込むうちに時間は過ぎ、ぼちぼちソニーのスタッフの人が彼等を迎えに来る時間が近づきました。「じゃあ僕はそろそろ失礼します。レコーディングで疲れているのに時間を割いて頂いてどうもありがとう」「7月にツアーで日本に来るのが決まってるから、その時は何とかして京都に立ち寄る時間を作りたいと思ってるんだ」「是非そうして下さい。歓迎しますから」「ありがとう」なんて風に再会を約束したのでした。その7月23日から始まるツアーは、今決定しているだけでも福岡・東京(2ケ所)・千葉・長野など全国を廻るようで、見に行くのを楽しみにしています。

 

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