POOH'S NEWS
■毎日、バタバタと忙しい日々を過ごしていますので、日記というほど頻繁に更新しないと思います。「POOH'S NEWS」というタイトルも単に語呂合わせなだけで、大した意味はありません。気が向いたら「何か書く」という事で「POOHの世間話」ほど話題を決めるのでもなく、思いついた事をノンビリと書き記すページにしたいと思っています。興味のある方だけ時々覗いてみて下さい。(プー横丁店主 POOH)


早いもので昨年の7月20日にアーティ・トラウムが亡くなってから、ちょうど1年が経った。
6月末頃から1年前のことを色々と思い出し、時の経つ早さを今更ながらに感じていた。

ハッピー・トラウムのファースト・ソロ・アルバム『リラックス・ユア・マインド』がリイシューされ、
その国内発売の解説を書くことになったので、先月ハッピーにそのことを知らせたら、
「アーティが逝ってからもうずぐ1年になるなんて信じられないほどだ」と
彼も同じ気持ちでいるようだった。

最近、アーティのHPには奥さんのビヴァリーがコメントを書き加えていた。
「何をするにもアーティなら(こんな時)どう考え、どう言い、どうするだろうかと思っています」と。

ハッピーと奥さんのジェーンさんが多くの友人や知人に宛てたメールが今朝がた届いた。
その文面の最後には、こう書かれていた。
I hope you will take a few moments on July 20 to reflect a little on what Artie meant to you.
Light a candle, sing a song, hug someone you love.

私は、朝からアーティの最後のアルバムとなった『THIEF OF TIME』を繰り返し聴いている。

2009年7月20日


---------------------------------------------------------------------------------------


上がユキヒロさんとお友達の製作家の方。下が当日の境内の様子。

先月15日の日曜日、知恩寺の手作り市に行って来た。京都市左京区の百万遍にある知恩寺境内で毎月15日に開かれている人気の「市」である。この市はお2人の京都在住の方が発起人となって始まり、「素人さんが創った手づくりの作品を発表する場」、青空個展会場をという主旨でもう今年で21年も続いているそうだ。 

知恩寺は自宅からバスで10分ほどのところで、歩いて行けなくもないほどの距離だが、この市と休みの日が重なることも少なく、これまで行ったことがなかった。午前中は青空も見え、知恩寺の境内は溢れんばかりの人で賑わっていた。約350もの店が並ぶ手作りフリーマーケットは、芸術系の学校出身のアーティストや職人の卵がオリジナルの作品を売ったり、プロの方が出店していたりして、毎回大盛況。ここでの出品をきっかけに評判を呼んだ個人製作家の中には、自宅での作業から工房を構えたり、ケーキを売っていた人がお店を持ったりするようになった人もいると聞く。

衣類、クツやカバンなどの革製品、陶器、人形、アクセサリー、イスから小鉢まで大小の木製品、金属製品の小物、手編みのセーターや帽子。食べ物もパン、ケーキ、クッキー、和菓子、蕎麦、漬け物など、様々なお店が大小のテントに賑やかに出店している。長い行列のできたクッキーやパン、大福もちのお店では、それぞれ店の人が応対に大忙しである。その一方で、販売そっちのけで来店客と談笑するのが楽しくて仕方ないというような人、品物を物色している客に声をかけることもなく一心に絵を描き続けている絵画の店の人もいたり、個性的な出品者による思い思いの品物たちを見歩いているだけでも楽しい。

ある陶器の店に並んだ器に見覚えがあったので手に取ると、それは「ユキヒロ」というブランド名で知られる岩田行弘さんの陶器で、その白を基調にしたシンプルなデザインの器は気に入って自宅で使っているのである。それと同じデザインの器も並べられてあったから気づいたのだ。少し話して訊ねると売っている男性がユキヒロさんご本人というではないか。まだ30代後半の彼は、自らの作品同様に飾らず穏やかな佇まいの人だった。やはり、オリジナル作品は、作り手の人柄が滲み出るのだなぁ。それは、陶器でも音楽でも同じなのかも知れない。お人柄を存じ上げているミュージシャンの方々のオリジナル作品(曲)も作曲者それぞれの性格や人となりが表れているように思う。京都府の久御山町の工房で製作しているというユキヒロさんの小さめの器2つを購入。承諾を得て、写真も撮らせて頂いた。

「山中屋はホントに山の中にあります」という滋賀県の西のはしっこ(とパンフに記してある)朽木針畑のパン屋さん、山中屋製パンというお店も出店していて、自作の石窯に山から切り出したコナラの薪を燃やして作った自然酵母(ライ麦酵母だけでなく、レーズン酵母とか黒米酵母なんてのでも作っているらしい)のパンは、どれも見るからに美味しそう。なので2つ選んで買った。帰宅して食したパンは実際どちらも凄く美味で、手作りの優しさが感じられたのであった。

その時、ふとプー横丁のインディーズ・レーベル、スライス・オブ・ライフのことが思い浮かんだ。手作り市で売られていた品物は、1つひとつを製作者が自らの手で作ったもので、どれも全く同じ製品が出来上がるCDとは商品としての性質が根本的に異なる。とはいえ、アルバム発売までの制作過程の中でインディーズ・レーベルならではの「手作りの良さ」をそれぞれの製品に込めることはできるのではないかと思うのだ。セールス至上主義のメジャーな音楽マーケットの中で膨大な量のニュー・アルバムが次々と発売され、ヒットしなかった商品はは程なく姿を消す。メジャーでのそんな「消費される音楽」ではない形で、1つひとつ丁寧に制作し、販売する。そんな行為の中に「手作りの良さや優しさ」を込める事ができると思うのだ。スライス・オブ・ライフからは今年後半に2枚ほどリリースしたいと考えているが、手作りの良さ、インディーズ・レーベルの長所を活かして制作作業を進めたいと思っている。

その他にも色々なお店を見て廻り、本堂でお詣りもして、ホッコリした気分で賑やかな知恩寺の境内をあとにした。

2009年4月10日


---------------------------------------------------------------------------------------

上が「Player's Choice Awards」のブロンズ・メダル(左)とゴールド・メダル(右)。下がWCMAアウォードの優勝タテ(左)とアルバム『フォー・オン・シックス: 4 ON 6』のジャケット(右)。

 付き合いのあるアコースティック・ギタリストから嬉しい知らせが2つ連続して届いた。どちらも受賞のニュースだ。
 1つはトレース・バンディからの連絡で、米国の音楽雑誌「Acoustic Guitar」誌による2008年度「Player's Choice Awards」での受賞。これは読者投票による賞で今回で6年目となり、毎回話題となっているもので、オリンピックのように「ゴールド[金]」「シルヴァー[銀]」「ブロンズ[銅]」のメダルが贈られる。各種の部門がある中、トレースは「FINGERSTYLE GUITARIST」部門でブロンズ・メダルを獲得。因みにこの部門ではトミー・エマニュエルが金、アンディ・マッキーとドイル・ダイクスが共に銀を受賞した。更にトレースは「MOST PROMISING NEW TALENT」、つまり「新人賞」に当たる部門で堂々のゴールド・メダルを獲得したのだ。奥さんのベッカさんと2人で大喜びする笑顔が目に浮かぶようだ。

 もう1つは、ボブ・エヴァンスからの知らせで、カナダの有名な音楽アウォードの1つ、WCMA [Western Canadian Music Awards]の「Outstanding Instrumental Recording」部門、最優秀インストゥルメンタル・アルバムに贈られる賞で彼の最新アルバム『フォー・オン・シックス: 4 ON 6』が1位を獲得したのだ。

 大好きなギタリスト、それもプー横丁のレーベル、スライス・オブ・ライフから最新アルバムを国内発売したギタリストが、権威ある音楽賞を受賞するなんて本当に嬉しいことだ。トレースもボブもミュージシャンとしてだけでなく、人間的にも素晴らしい人たちなので、これを機会に更なる飛躍を遂げてもらいたいと思う。2人のギター音楽をもっと多くの日本のファンに聴いて頂くべく更に努力しなくてはと、あらためて思った次第である。

2009年2月2日


---------------------------------------------------------------------------------------

9月下旬に初来日したトレース・バンディ。
10日間ほどの日程で、関東4ヶ所、大阪2ヶ所、名古屋1ヶ所(2日間)を回り、ライヴを行った。

ツアー終了後に来日ツアー記をHPにもアップしようとしたのだが
もう12月だというのにまだ書ききれていない。

とりあえず、京都の太秦映画村に行った時に
オープンセットで「水戸黄門」の撮影中だった里見浩太郎さんとバンディ夫妻の
スリー・ショットをアップしておこう。
別に何のコネがあった訳でもないので
激レア・チャンスを活かした末のスナップである。

そこいら辺の話は、また「トレース・バンディ来日ツアー記」で。
と書いておけば自分にプレッシャーをかけて
年内中にアップできるかな。

2008年12月8日


---------------------------------------------------------------------------------------

ゴンチチのチチ松村くんが久しぶりに来てくれた。
お友達3人も連れてご来店。
ワイワイガヤガヤと店内で音楽談義。
面白い写真を色々見せてくれた。
いろんな横丁の写真を撮っているそうで
うちのガラス扉の「プー横丁」の文字も撮っていた。
そういえば、先日初めて来られた遠方のお客さんも
「プー横丁って横丁じゃないんですね」とおっしゃっていたっけ。
2008年8月8日


---------------------------------------------------------------------------------------

アーティ・トラウム


7月20日の午後、アーティ・トラウムが亡くなった。

明け方に目が覚め、書き留めておきたい事を思い出したので
自宅のPCをつけ、ついでにメールのチェックをしたら
ウッドストックからの悲報が届いていた。
現地との時差を考えると、まだ送られて10分も経っていなかった。

そのメール自体、彼が息を引き取った直後に送信されたもので
偶然にも「その事」を一番先に知った幾人かの1人となってしまった。
アーティの奥さんビヴァリーや
ハッピー・トラウムや奥さんのジェーンの嘆き悲しむ姿が
目に浮かぶようだった。

 
それでも「あのアーティがもう居なくなった」という事が
 すぐには理解できなかった。
 受けとめるには大きすぎる悲しみだった。
 涙も出なかった。
 届いたメールを何度も読み返した。

 幾人かの国内外の友人・知人にメールで知らせた。
 エリック・カズは既に知っていた。
 40年以上も兄弟同様の付き合いをしてきたアーティの急逝に
 彼も成す術のない悲しみに包まれているようだった。
 ロリー・サリーはアーティの容態のことは以前より知っていたものの
 私からのメールで「その事」を初めて知ったようだった。
 「知らせてくれてありがとう」と書かれてあった。

 それから何時間かしてハッピー・トラウムからメールが届いた。
 「アーティは彼のお気に入りのカウチの上で
  ビヴァリーや我々に見守られて安らかに旅立った」と記されていた。
 そのメールにはギターを持った満面の笑顔のアーティの写真が
 添えられてあった。
 その写真を見ていると、急に悲しみが込み上げてきた。
 涙が止まらなかった。

 1973年の春にプー横丁がオープンし、まだ丸1年経っていない頃、
 当時既に入手困難となっていたハッピー&アーティの2枚のキャピトル盤
 『HAPPY & ARTIE TRAUM』と『DOUBLE-BACK』を日本で再発売したいと思った。
 ハッピー&アーティの了解を得る為に手紙を出したのが、
 彼等2人との付き合いの始まりだった。
 そして、77年マッド・エイカーズとしての初来日。
 数年後のハッピー&アーティとしてのギター・ワークショップ・ツアー。
 アーティは、彼が88年にプロデュースしたリヴィングストン・テイラーの
 『LIFE IS GOOD』のアルバムのリリース後にリヴと共に来日した。

 2001年1月にカリフォルニアで行われたNAMMショウに行った際、
 久しぶりでアーティに会った。
 テイラー・ギターのステージでライヴを行うアーティスト達のお世話をしていた。
 参加していたミュージシャン誰もがアーティを敬愛していた。
 プー横丁のレーベル、スライス・オブ・ライフを立ち上げて
 第1弾としてハッピー・トラウムの『ブライト・モーニング・スターズ』を
 同月にリリースする直前にNAMMショウに行ったのだが
 スライス・オブ・ライフのレーベル設立をとても喜んでくれた。
 「インディーズ・レーベルを作るなんて凄いじゃないか。おめでとう」
 と言われて、私が「上手くいくかどうか正直ちょっと不安なんです」と打ち明けたら
 「心配する事はないよ。ベストを尽くせば
  来年にはワーナー・ブラザーズ(みたいに大きくなって上手くいく)さ」と
 ジョークで和ませてくれた。

 同じ年の夏に私は初めてウッドストックを訪れた。
 滞在中、泊めてもらったのはハッピー宅だったが、
 昼間はずっとアーティの家で彼とビヴァリーのお世話になった。
 その時の様々な事が今鮮やかに思い出される。

 スライス・オブ・ライフから発売し、世界初CDリリースとなった
 エリック・カズの『1000年の悲しみ』も
 トム・アクステンスの『オリジナル・アンド・トラディショナル・ミュージック』も
 アーティの存在なしには世に出なかった。
 アーティが私をエリックやトムに紹介してくれたからこそ
 「ゼロからでも始めることのできたプロジェクト」だった。
 アーティはどちらのアルバムにもライナーを書き下ろしてくれ、
 アルバムが発売された時には心から喜んでくれた。

 2006年9月、発売までに3年以上の年月をかけたハッピー&アーティの
 『未発表ライヴ集: 1970s-1980s』をスライス・オブ・ライフから発売した。
 そして、2006年11月にハッピー&アーティとして
 25年ぶりのジャパン・ツアーが正式に決定した。

 ハッピーとアーティは長年にわたって彼等の音楽の良さを理解し、
 支持してくれる日本の音楽ファンに対して日頃からとても感謝していた。
 日本の文化や風景もこよなく愛していた。
 だから、来日ツアーのスケジュールが決まった直後、
 彼等も「もう待ちきれないほど凄く興奮しているんだ」と、その喜びを伝えてきた。
 特にアーティは、リヴのツアーに同行した時以来の久々の来日だったので
 その喜びもひとしおだったようで
 日本のファンの前でプレイできるのを本当に楽しみにしていた。

 ハッピー&アーティの日本公演は2006年11月2日からスタートした。
 沢山のお客さんに来て頂けるのか、ギリギリまで心配したが
 フタをあければ、連日大盛況でツアーは大成功だった。
 コンサートでの彼等の演奏そのものも期待を大きく上回る素晴らしいものだった。
 2人とも今なお現役バリバリのミュージシャンである事を証明した、
 堂々たるライヴ・パフォーマンスだった。
 ベテラン・アーティストならではの深い味わい。
 1つ1つの「音」がニュアンスに富んだ2人のアコースティック・ギター・プレイ。
 音楽に対する彼等の真摯な思いも感じられるコンサートだった。
 彼等の歌と演奏を聴き、その場に居られるだけで幸せを感じた。
 まさに「至福のひととき」だった。

 24日の午後2時よりウッドストックのベアーズヴィル・シアターで
 アーティを偲ぶ「Memorial Celebration for Artie」が行われた。
 多くの友人・知人・ファン達が集い、会場は一杯となり、
 入りきらない人も大勢いたとのことだ。

 アーティは逝ってしまった。
 残念でならないが、彼が残してくれた音楽は
 これからもずっと我々の心の中で響き、生き続けるだろう。

               2008年7月25日   プー横丁店主 POOH

これより前の日記

プー横丁のトップページへ