これは、宇野幹雄さんにお寄せ頂いた原稿です。 アルバムのジャケットも宇野さんに送って頂いた画像です。

 

 

プー横丁 40周年 おめでとうございます。
40周年記念企画として「私の好きな3枚のアルバム」に、私も参加させて頂く事を光栄に思います。
…が、私が何者か? 判らない方も多いと思いますので、簡単に自己紹介をさせてください。

1951年生まれ、店主・松岡さんと同い年です。
幼少期から音楽、特に洋楽ポップスが好きで、最初に自分の意思で買ったレコードは「恋の片道切符/ニール・セダカ」One Way Ticket / Neil Sedaka でした。
思春期にギターにとり憑かれ、大学生の頃にはそのままプロの世界にと思った事もありましたが、いろいろあって学校に戻りました。
それでも「音楽に近いところで仕事がしたい」との思いは募り、毎日放送に入社。ラジオ番組のディレクター/プロデューサー、音楽イベントのプロデューサー、劇場の支配人など、40年ほどを音楽現場の傍で過ごしてきました。

考えると55年もの長い間、音楽を聴き続けてきた事になります。そこから特別な3枚を選び出すのは至難の業ですが、思いつくままに記してみましょう。

 

Ventures in Japan / The Ventures(邦題:ベンチャーズ・イン・ジャパン)

はじめてラジオから流れてきたベンチャーズのギター・サウンドに衝撃を受けたのは、中学1年生の時でした。いや、小6だったか? 貯めていたお年玉をベースに父親に不足分を援助してもらって、エレキ・ギターを買いに行きました。初めてのギターがエレキだったのです。たまたま当時住んでいた家の近くにテスコ(グヤトーンと並んで、当時の有名エレキギター・メーカー)に勤めているお兄さんがいたので、毎週日曜日の午後にはそのお兄さんのところに通って、イチから教えてもらいました。ノーキー・エドワーズと同じように弾きたい!と、何度も何度も繰り返し聞いたのが、このレコードです。
同じ頃、ベンチャーズと同様に人気があったのがビートルズでした。いま音楽史としてこの両者を見るなら、ビートルズが重要な位置を占めることは誰の目にも明らかですが、当時僕の周りでは、ビートルズのファンは女子たち。ちょっと音楽通の男子たちはインスト物のベンチャーズを支持していました。
そんな事から、僕はギターのインスト物を追いかけ続け、ビートルズの事は単なるアイドル・グループと思っていて真剣に聞くこともありませんでした。彼らの素晴らしさ・凄さが解るのはそれからだいぶ経った後、解散の噂も飛び交う70年頃だったのです。

 

Guitar Forms / Kenny Burrell(邦題:ケニーバレルの全貌)

ギターのインスト物を追いかけ続けていた僕は、中学三年生の頃にはウェス・モンゴメリー、バーニー・ケッセル、そしてケニー・バレルなどのジャズ・ギターの世界を知る事になります。
ちょうどその頃、渡辺貞夫さんがバークリー音楽院を卒業し日本に帰ってきて、ラジオや音楽雑誌で大きく取り上げられていた頃でもあります。ナベサダがレギュラー出演していたTV番組もありました。VANジャケット提供で日曜日の午前中に放送されていた(関東地区ローカル?)「VANミュージック・ブレイク」という番組で、渡辺貞夫クインテットがハウス・バンドとして毎週出演し生演奏を行っていました。1960年代半ばの話です。番組のテーマ曲や、当時よく演奏されていたボサノヴァやスタンダードの名曲にすっかり魅了され、僕はどんどんジャズの世界にはまっていったのです。
そんな流れのなかで、スタン・ゲッツ、キャノンボール・アダレイ、ソニー・ロリンズ、そしてマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンなどを聴いていくのですが、やはりギターによるジャズを聴く割合が高く、なかでもジミー・スミスのオルガンと共演していたケニー・バレルのファンキーでブルージーなジャズ・ギターのかっこ良さには圧倒されてしまいました。
そんな頃、レコード店で見つけたこのLPは、それまでのブルージーなギターとは違って、クラシック風ありボサノヴァ風ありラテン風ありの異質なものでした。当時は正直言ってその良さをちゃんと理解できなかったのですが、その後あらためて聴きなおしてみると、極めて完成度の高いアルバムであることがわかります。たくさんのケニー・バレルのアルバムの中から「一枚」を選ぶとすれば、これ、です。

 

Twin Sons of Different Mothers / Dan Fogelberg & Tim Weisberg

 

さあ、そして最後の一枚を何にするか。迷いに迷いましたが、これにしました。
アメリカのシンガー/ソングライターであるダン・フォーゲルバーグが、ジャズ・フルートのティム・ワイズバーグと共作し、1978年に発表したアルバムです。
中学生くらいからジャズを聴き始め、高校生の頃にはジャズばかり聞いていたのですが、大学に入るともっと広く、ロックをはじめカントリー、フォーク、R&B、など様々な音楽を聴くようになりました。それは当時一緒にバンド活動をしていた仲間の影響が大きいのですが、いま思い返してみると時代の流れというものが大きく関わっていたように思います。大学に入ったのが1970年。世の中の価値観がそれまでと大きく変化していき、それまで決して主流ではなかった(当時の)若者の文化がメインストリームとなっていく転換の時期でありました。そんな流れの中で、音楽の嗜好ばかりでなくモノの捉え方や考え方にも大きく感化を受けたのが、ビート・ジェネレーションの流れをくむヒッピーという存在でした。
そこからロックを聴くようになり、自分のメッセージを自分が作った曲に載せて音楽を媒体として伝えていく、ロックやフォークのアーティストたちに共感を覚えていくようになりました。なかでも強烈に共感したのはボブ・ディランでした。勢いに乗って大学を卒業するときの論文のテーマも「ボブ・ディラン」をテーマに選んだほどです。
それでも「最後の一枚」に、ボブ・ディランではなく、ダン・フォーゲルバーグを選んだのには特別な思い入れがあるからです。なんと生年月日が僕と全く同じ、1951年8月13日なのです。
それを知ってから、彼のアルバムをいろいろ聞いていると、歌詞の一言、音符の一音ごとに共感することが多いのです。ギター一本の弾き語りから壮大なオーケストレーションをバックに歌う曲まで、「あ〜これこれ、よく解る」と思ってしまいます。誕生日が同じというだけの勝手な思い込みかもしれませんが、音楽の聴き方というのは、そんなことから入っていくものではないか、とも思います。
残念ながら、彼は2007年の12月に、前立腺癌のためにこの世を去ってしまいました。一度会ってお互いの人生を語り合いたいと思っていましたが、それも今となっては叶うことはなく、残念でなりません。

 

きわめて個人的な「三枚のアルバム」です。
この拙い文章を目にして、あらためてこれらの音楽を聴き直し(あるいは初めて聴いてもらって)何か新しい想いを抱いて頂くきっかけになったとしたら、それほど嬉しいことはありません。
「プー横丁」のお店の棚には、たくさんの方々のそれぞれの想いがいっぱい詰まった音楽がぎっしりと並んでいます。まさに「宝の山」です。
これからも世界中の音楽好きの人たちのための Treasure Island として、いつまでも続けていただきたいと切に願います。




  

 

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