これは、音楽ライターの中山義雄さんに送って頂いた原稿です。

 

 ボブ・ディラン&ザ・バンド/地下室
 忘れもしない中学二年のとき、秋葉原の石丸電気に行った。悪ガキと当時作っていた短波ラジオの部品を買いに行ったのだった。石丸電気のレコード部門は当時体験できる最大級のレコード屋だった。思うと、初体験のレコード屋の規模がずいぶん変わったのではないかと思う。それで、エスカレーターを登りながら目に入ってきたこのジャケットの衝撃。全身に電気が走るというのはこういう感覚だろう。ぼくはいまでも思い出せるぜ。曲のタイトルも格好良すぎた。おまけにジャケにマンドリンも映っていたし。『新春スター隠し芸大会』でマンドリンを弾く、いかりや長介を観て、次の日、お年玉握りしめてマンドリン(ラウンド・バックの奴)を買いに行ったのだけれど、なんか自分のなかに漠然とあるはずの音楽にバチーとハマる感じはしなかったのだけど、このジャケで霧が晴れたのだった。で、レコード・プレイヤーなかったので、カセットを買った。正直に告白すると、それまで南沙織好きだった中学生には良くわからなかった。でも、このときにハジけた何かが、わたしの嗜好の総てをジワジワ蝕んでゆき。その二年後には、『Coast to Coast』とか読んでましたよ。地元、鎌倉のすみやに『Small Town Talk』『ザ・ブルース』が置いてあったのも、大きかった。それから25年後、わたしはビッグ・ピンクに行った。いまもピンクだけど、ビッグではなかった。でもココロのなかではビッグなのだ。

 

 ライ・クーダー/チキン・スキン・ミュージック
 これを買う頃には、『New Music Magazine』は広告しか読まないナマイキな高校一年生だったけど。まずマンドーラの音の間合いとどこか東洋的な響きが未知の音楽を夢見させてくれた。ブックレットの写真のギャビーとか、フラーコとかの背後にとてつもなく豊穣な世界の存在を充分に予感させた。ちなみに中学卒業するとき、世界一の偉人はジャンゴ・ラインハルトだとわたしはスピーチをした。高校入学祝いは、チャキのピック・ギターだったのだ。

 リンク・レイ(ポリドールの変形ジャケ:一枚目)
 これを400円で買う頃になると、10才年が離れてないと話があわないという悩みを抱えていた高校二年生。このメリーランドの小屋で3トラックで録音されたホーム・メイド・アルバムの臭さ、底知れなさ、味わい深さ、ムチャ加減を超えるものには今日に至るまで出遭っていないのではないかと、先月再確認したばかり。『地下室』やライの諸作の弁証法的統一というか、リンク・レイという人間のささくれだった歩みが詰まった、濃厚人間スープという趣。後にネヴィルがこのアルバムの曲をカヴァーしたときには驚いたけど、ダニエル・ラノアのアイディアだったとはね。

 多分、極私的重要作は上記の3枚です。

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