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エリック・カズ / 1000年の悲しみ 解説 [ロング・ヴァージョン]

 エリック・ジャスティン・カズ。そのミドル・ネームも含んだ彼の名前に特別の思いと感慨を抱いて、本作『1000年の悲しみ』を手にしていらっしゃる音楽ファンの多くは、彼が72年に発表したソロ・デビュー作『イフ・ユアー・ロンリー』を繰返し聴き、この希有のシンガー・ソングライターの作品に今なお変わらぬ愛情を感じていらっしゃる方々だと思う。

 本作『1000年の悲しみ』には、エリック・カズが1974〜1975年にかけて自宅やスタジオでレコーディングした音源10曲を初めとする、全て未発表音源による17トラックが収録されている。エリックのアルバムとしては、アメリカン・フライヤーのバンド・メイトだったクレイグ・フラーとのデュエット作『クレイグ・フラー/エリック・カズ』以来24年ぶり、ソロ名義のアルバムとしては74年に発表されたソロ第2作『カル・デ・サック』以来だから、実に28年ぶりということになる。

 彼のプロフィールや収録作品については、本作の為にエリック本人が書き下ろした「ハロー・ジャパン」と「ソングノーツ」に詳しく記されているし、彼がいかに優れたシンガー・ソングライターであるかといった事や60年代から70年代の彼を取り巻く音楽シーンなどに関しては、アーティ・トラウムがライナーの中で幾つもの興味深いエピソードを披露している。各曲の録音データや歌詞・対訳も付いている。それだけに余計な解説はもはや不要とも思うのである。しかし、補足説明をした方が良いと思われる事柄や、既に発表されている作品で歌詞が変更されている部分があったりもするし、キャリアの長いアーティストだけに初めてエリック・カズの作品をお聴きのファンの方の為に触れておきたい事も幾つかあるので、それらの事を含めて話を進めたいと思う。

 エリック・カズが日本の音楽ファンに注目される事となったのは、彼が1972年にエリック・ジャスティン・カズ(Eric Justin Kaz)名義で発表したソロ・デビュー盤『イフ・ユアー・ロンリー』だった。勿論、当時はLPでのリリースである。輸入レコード店やロック喫茶での評判が、クチコミで更なる評判を呼んだ。アルバムを聴いた音楽ファンの誰もが「傑作アルバム」と絶賛したその評価とは裏腹に、本国アメリカでは廃盤となった為に輸入盤も入手困難となり、いつしか「幻の名盤」の1枚として「確固たる地位」を築いてしまった。しかし、ワーナー・パイオニアが78年に「ロック名盤復活シリーズ」という廃盤リイシューのシリーズを発売し、『イフ・ユアー・ロンリー』は、その1枚として日本で再発売されたのである。98年には、74年発表のソロ2作目『カル・デ・サック』と共に、同社よりCD化された。2枚のソロ・アルバムをリリース後、元ブルース・プロジェクトおよびBS&T(ブラッド・スウェット&ティアーズ)のスティーヴ・カッツ、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのタグ・ユール、元ピュア・プレイリー・リーグのクレイグ・フラーとアメリカン・フライヤーを結成。グループのデビュー作『アメリカン・フライヤー』は、ビートルズを育てた名プロデューサー、ジョージ・マーティンのプロデュースで76年に発表された。そして、アメリカン・フライヤーの2作目『スピリット・オブ・ア・ウーマン』を77年に、更には同グループのクレイグ・フラーとのデュエット盤『CRAIG FULLER/ERIC KAZ』を78年にリリース。その後は、バンド活動やライヴ活動からは遠ざかり、パフォーマーとしてではなくプロのソングライターとして活躍を続けている。70年代からエリックの作品を好んでレコーディングしているボニー・レイットやリンダ・ロンシュタットが80年代以降も彼の作品をアルバムに収録しているのを初め、カントリーのアーティストに作品を提供する事も多く、90年代にジョージ・ストレイトとクレイ・ウォーカーによって録音された作品2曲がいずれもカントリー・チャートでナンバー・ワン・ヒットとなるなど、職業作曲家として大きな成功を収めているのである。

 ソロ・デビュー以前に関しても簡単に触れておこう。エリックはスティーヴン・ソールズ、ハッピー&アーティ・トラウムと共にフォーク・ロック・バンド、チルドレン・オブ・パラダイスを結成し、66年にコロンビアにシングルを吹き込む。ハッピーがグループを離れた後、彼等はバンド名をベア−(Bear)と変えて68年にヴァ−ヴ/フォーキャストでアルバム『GREETINGS, CHILDREN OF PARADISE』を発表した。それからエリックはブルース・マグースのメンバーとなり、彼等の69年作『NEVER GOIN' BACK TO GEORGIA』と70年作『GULF COAST BOUND』に参加している。72年にリリースされたウッドストック縁りのミュージシャン達による傑作セッション・アルバム『MUD ACRES: MUSIC AMONG FRIENDS』にハッピー&アーティ・トラウム等と共に参加。このマッド・エイカーズのレコーディング・セッションは72年の1月半ばに行なわれているが、同じ72年にソロ1作目『イフ・ユアー・ロンリー』は制作されたのである。 

 エリック・カズの音楽キャリアをざっと振り返ったので、より明確に分って頂けると思うが、本作『1000年の悲しみ』に収録された音源は、3つの時期に分かれている。ソロ2作目『カル・デ・サック』は73年にレコーディングされ、翌74年に発表されるのだが、それから76年にアメリカン・フライヤーのデビュー作がリリースされるまでが1つ目の時期。つまり、その74年から75年にかけての、我々が今まで知らなかった言わば「空白の2年間」に録音されていた音源で、これが最も多く13トラック(スタジオ録音10トラックとライヴ録音3トラック)。そして、クレイグ・フラーとのデュエット盤『クレイグ・フラー/エリック・カズ』制作後となる78年から80年のスタジオ録音3曲が2つ目の時期。更に最も最近、何と今年(2002年)1月に録音したばかりの1曲の、計17トラックである。

 その17トラックのうち、作品自体としては72年のソロ作『イフ・ユアー・ロンリー』に収録されているものが5曲、アメリカン・フライヤーの2枚のアルバムに収録されているものが4曲含まれている。しかし、本作に収められたものは、いずれも各アルバム制作時のアウト・テイクといったものではなく、CDブックレットにも記されている通り、レコーディングされた場所も時期も全く異なる未発表音源である事を強調しておきたい。

 又、例えば1曲目の「River Of Tears 」がそうだが、他のアーティストによって既にカヴァーされていながら、これまでエリック本人によるヴァージョンは発表されていなかったものもある。その幾つかが、本作『1000年の悲しみ』リリースによってファンに届けられたのは、本当に嬉しい限りである。彼は「ハロー・ジャパン」の中で「僕の曲をとりあげてくれたシンガー達は、これらのデモ録音を聴いて曲を覚えた」と記している。恐らくボニー・レイットも、本作に収録されたヴァージョンの「River Of Tears」を聴いて気に入り、レコーディングする事を決めたに違いない。他にボニーがカヴァーした「Gambling Man」や「Angel」に関しても同様であろう。そう考えると、以前のヴァージョンと雰囲気がガラリと変わった2002年録音の「Temptation」などは、このトラックに似たアレンジやヴォーカル・スタイルのものが誰か他のアーティストによって近い将来カヴァーされるかもしれない。そんな想像も膨らませながら、各曲についてご紹介しよう。

1. リヴァー・オブ・ティアーズ
 79年にL.A.の自宅で録音。全ての楽器とヴォーカルをエリック1人でレコーディングしている。同じリズムが続くのは、ドラム・マシーンの使用法に当時は不馴れだった為と「ソング・ノート」の中でエリックは説明している。この曲はボニー・レイットがカヴァーし、82年のアルバム『グリーン・ライト』に収録。そのボニーのヴァージョンには、今は亡きザ・バンドのリチャード・マニュエルがハーモニー・ヴォーカルで参加していた。

2. テンプテーション
 全17曲中、他の16曲はすべて1974年〜1980年にレコーディングされたものだが、この曲のみ今年(2002年)の1月にエリックの自宅で録音された最も新しい音源である。『イフ・ユアー・ロンリー』でのヴァージョンよりもアップ・テンポで演奏され、キーも下げて歌われている。エリックのヴォーカルがガラリと変わり、驚かれた方も多いのではないだろうか。しかし、彼のフィンガースタイルによるギター・リフのフレーズは基本的に同アルバムのヴァージョンと変わっていないし、ヴォーカルの歌い廻し、メロディー・ラインは同じだ。エリックがライナーで触れているトレイシー・ネルスンのアルバムとは、彼女をフィーチャーしたグループ、マザー・アースが71年に発表した『BRING ME HOME』のことであり、同アルバムでは4曲ものエリック・カズ作品が収録されている。3番の歌詞の最初2行が『イフ・ユアー・ロンリー』ヴァージョンの「I cried out in desperation/ Forgive me for my evil way(絶望の中で私は叫んだ、罪深い私をお許し下さい)」から「I cried out for mercy/ Forgive my restless ways(私は叫んだ。どうかお願いですから1つの場所にジッとしていられない私をお許し下さい)」に変わっている。

3. ギャンブリング・マン
 74年にウッドストックの自宅で録音。アメリカン・フライヤーの77年作『スピリット・オブ・ア・ウーマン』に収録されている他、ボニー・レイットも77年作『愛に乾杯(SWEET FORGIVENESS)』でカヴァーしている。アメリカン・フライヤーのヴァージョンの基本的なアレンジは、このトラックを元にしている事がよく分かる。リード・ギターとベースを弾いているニック・ジェイムスンは、元アメリカン・ドリームの中心メンバーで、エリックとは旧知の仲。77年にベアズヴィルからソロ作『ALREADY FREE』も発表している。

4. サッチ・ア・ビューティフル・フィーリング [自宅デモ・ヴァージョン]
 74年にウッドストックの自宅で録音。アメリカン・フライヤーの1作目『アメリカン・フライヤー』に収録されているが、そのヴァージョンでリード・ヴォーカルを担当していたのは作曲者のエリックではなく、クレイグ・フラーである。本作で初めてエリック自身のヴォーカル・ヴァージョンが世に出たのだ。テンポもずっとスローで、ピアノの演奏も含め、更にゴスペルっぽさが効いたアレンジになっている。

5. サッチ・ア・ビューティフル・フィーリング [ベアズヴィル・ヴァージョン]
 4曲目の自宅ヴァージョンをレコーディングした翌年の75年8月にウッドストックのベアズヴィル・スタジオで録音されたトラック。幾分アップ・テンポになり、ビリー・マンディによるドラムスが加わった分、曲全体がタイトになっている。エリックによるベースも音数が増え、より凝ったフレーズになっているのが分かる。

6. エンジェル [自宅デモ・ヴァージョン]
 74年にウッドストックの自宅で録音。ボニー・レイットが彼女の86年作『ナイン・ライヴス』でカヴァーしているが、この曲もエリック自身のヴァージョンは、今まで発表されていなかった。あっという間に書けたというこの曲は、まさに彼のユニークなリズム感覚を示す好例だろう。

7. エンジェル [ベアズヴィル・ヴァージョン]
 75年8月にベアズヴィル・スタジオで録音。エリックが演奏するピアノやエレクトリック・ギターは基本的に自宅デモ・ヴァージョンと同じだが、ドラムスとゴスペル・クワイア風のバック・コーラス加わって一段とスケールの大きな作品に仕上がっている。尚、このトラックと5曲目で、レコーディング・エンジニアとしてクレジットされているマーク・ハーモンはザ・バンドの『カフーツ』などベアズヴィル・スタジオで制作された多くのアルバムに関わった人物である。そのハーモンの元で、このトラックにもアシスタント・エンジニアとして参加していたトーマス・マーク(通称トム)は、本作『1000年の悲しみ』の全17トラックのリミックスとデジタル・リマスタリングも担当している。70年代にベアズヴィル・スタジオで働いていたトムは、76年にアーティ・トラウムの初プロデュースでデビューしたトム・アクステンスの傑作アルバム『オリジナル&トラディショナル・ミュージック』(スライス・オブ・ライフより世界初CD化され発売中)でもエンジニアリングを担当しているのを初め、マッド・エイカーズ/ウッドストック・マウンテンズ・レビュー関係のアルバム2作『WOODSTOCK MOUNTAINS: MORE MUSIC FROM MUD ACRES』と『PRETTY LUCKY』、アーティ・トラウムの最近の3作、NRBQの『AT YANKEE STADIUM』ほか、多数のアルバムにレコーディング・エンジニアとして参加している。※トムのキャリアに関する詳細はスライス・オブ・ライフのホーム・ページ<http://www.h2.dion.ne.jp/~slice/>に掲載中。

8. マザー・アース (プロヴァイズ・フォー・ミー)
 74年にウッドストックの自宅で録音されたこのヴァージョンは、72年作のアルバム『イフ・ユアー・ロンリー』より後でレコーディングされている訳だが、作曲された時と同じギター1本の弾き語りで演奏されている。『イフ・ユアー・ロンリー』ヴァージョンのゴスペル風コーラスやウッド・ベースやパーカッションが入っていない分、エリックの淡々とした歌いぶりが際立っている。シンプルながら、味わい深い1曲だ。

尚、エリックが「ソング・ノーツ」で触れている「マザー・アース」収録のトム・ラッシュのアルバムとは、1972年作の『MERRIMACK COUNTY』のことである。

9. ドライヴ・アウェイ
 74年にウッドストックの自宅で録音。アメリカン・フライヤーの1作目『アメリカン・フライヤー』でのヴァージョンよりもスローに演奏され、バック・コーラスなど、ゴスペルっぽさが更に強まったアレンジとなっている。

10. クロスローズ・オブ・マイ・ライフ
  この曲をカヴァーしたラインストーンズは、ファビュラス・ラインストーンズの名でハーヴィー・ブルックス(元エレクトリック・フラッグ)、カル・デヴィッド(元イリノイ・スピード・プレス)、マーティ・グレッブ(元バッキンガムス)の3人が中心となって72年に『THE FABULOUS RHINESTONES』でアルバム・デビューしたウッドストックのロック・バンド。この曲は、マーティ・グレッブに代わってボブ・ラインバック(その後ジョン・ホール・バンド〜オーリアンズ)が加入し、グループ名もラインストーンズと改名して75年に発表された彼等の3作目『THE RHINESTONES』に収録されている。蛇足ながら、この曲目紹介でエリックは「ラインストーンズというウッドストックの人気グループがファビュラスな(素晴らしい)ヴァージョンをやってくれた」と書いている。ファビュラスをグループ名とひっかけたのだろうか。今のところ未確認ではあるが....。

11. ラヴァーズ・アンド・フレンズ
 ボニー・レイット宅で彼女のピアノを使って作曲したという未発表曲。シンプルながら、エリックらしいメロディーを持った佳曲だ。「誰からも注目されなかった曲」と残念がる彼の気持ちも分かる気がする。74年ウッドストックの自宅で録音。

12. ブロウィング・アウェイ
 75年ウッドストックの自宅で録音。ボニー・レイット、リンダ・ロンシュタット、アメリカン・フライヤーが、それぞれカヴァーしている。ボニーは75年作の『ホーム・プレイト』に、リンダは78年作の『ミス・アメリカ(LIVING IN THE U.S.A.)』に、アメリカン・フライヤーは77年の『スピリット・オブ・ア・ウーマン』に収録。リンダもハーモニー・ヴォーカルで参加しているアメリカン・フライヤーのヴァージョンでは、リード・ヴォーカルはクレイグ・フラーだった。本作によって初めて世に出たエリック自身のヴァージョンは、既発のどのヴァージョンよりもゆったりと歌われている。尚、この「Blowing Away」でのタイトルを含むリフレインの歌詞が、既発のヴァージョンと違っている事にお気づきだろうか。これまでリンダ・ロンシュタット、ボニー・レイット、アメリカン・フライヤー等によるどのヴァージョンでも「アイム・ ブロウィン・アウェイ(I'm blowin' away)」と「現在進行形」で歌われているが、ここでは「アイヴ・ビーン・ブロウィン・アウェイ(I've been blowin' away)」と「現在完了進行形」で歌われている。つまり、エリックはもともと「I've been」と歌っていたのを「I'm」に変えたのである。本作のトラックが自宅でレコーディングされたのは75年3月との事だが、同年の5月に行なわれたコンサートでエリックは既に「I'm blowin' away」と歌っていたと聞いているので、本当に初期の段階で変更された事が今回判明した。

13. オール・ナイト・ロング
 80年にL.A.の自宅で録音。この曲と次の「ザ・ロマンス」、そして1曲目の「リヴァー・オブ・ティアーズ」の3曲が78年〜80年にレコーディングされたもので、それはクレイグ・フラーとのデュエット作『CRAIG FULLER/ERIC KAZ』の制作後、彼がパフォーマーとしてよりもソングライターとしての活動に力を入れる決意をした時期、といえるだろう。ブリティッシュ・ポップ・グループをイメージして作ったというこの曲は、本作の全17曲中、唯一エリックがシンセサイザーを演奏している。

14. ザ・ロマンス
 78年にL.A.の自宅で録音。エレクトリック・ピアノの弾き語りによる美しいメロディーと詞が印象的だ。特にサビのところなど、エリックのメロディーメイカーとしての優れたセンスを感じてしまうのは私だけではないだろう。

15. クライ・ライク・ア・レインストーム
 この曲も含め、以下の3トラックがウッドストックにあるクラブ「ジョイアス・レイク」で1974年5月6日に行なわれた彼のコンサートでの貴重なライヴ音源である。その3曲は、いずれも彼のソロ・デビュー作である名盤『イフ・ユアー・ロンリー』からのもので、狂喜していらっしゃるファンの方も多い事だろう。同アルバムに収録されたこの曲のスタジオ・ヴァージョンはどちらかと言えば淡々とした歌いぶりだったが、情感を込めてピアノの弾き語りでゆったりと歌われるこのライヴ・ヴァージョンは、流麗なストリングスやゴスペル風バック・コーラスが無くても、グッと心にしみる。コンサートの音響関係者の話し声が一瞬入っているが、エリックのヴォーカル・マイクに収録されてしまったその「音」の事を云々するよりも、素晴らしいこの曲のライヴ音源が世に出た事をファンの1人として素直に喜びたいと思う。

16. トゥナイト、ザ・スカイズ・アバウト・トゥ・クライ
 この曲もスタジオ・ヴァージョンでは、ピアノと共にストリングスが加わっているのだが、ここでは何とアコースティック・ギター1本による弾き語りを披露してくれている。コンサートでも殆どの場合はピアノの弾き語りで歌われるとの事なので、そんな意味でもこのトラックは非常に貴重なものといえるだろう。オープンD・チューニングによるギター・アレンジも素晴らしい。

17. マイ・ラヴ・メイ・グロウ
 失恋の痛手を抱えつつ旅立つ男の心情を歌ったこの曲もスタジオ・ヴァージョンのヴォーカルは淡々としたものだったが、ライヴでは切迫した思いを吐露するかのようにエモーショナルに歌い上げられている。

 前述の通り、本作『1000年の悲しみ』には1974年から1975年にかけてレコーディングされた音源が、最も多く収録されている。エリックは1946年ニューヨーク生まれとの事なので、それらの音源が録音されたのは、彼がまだ20代だった頃(28〜29歳)なのである。ソロ・デビュー作『イフ・ユアー・ロンリー』がリリースされた時、彼は26歳だったのだ。発表から今に至るまで輝きを放ち、我々を感動させ続けている名曲の数々をエリックは20代半ばに作曲していた事に、あらためて驚く。

 又、エリックが「ソング・ノーツ」に記した「僕の頭の中では、全てアレンジされた完全な曲のイメージがはっきりしていて、この曲はこんな風なやり方で演奏され歌われるべきだというサウンドが出来上がっている」という言葉は、とても印象的だ。イメージ通りの「完成形」を作り出す為に70年代半ばから作品を自宅録音によって残してきた彼。故に、本作『1000年の悲しみ』には、その時点での各作品の完成形が収められていると言ってよいのかもしれない。既発ヴァージョンとの演奏面のアレンジの違いもさることながら、エリックといえば常にクールで淡々とした歌いぶりが記憶にあったファンにとって本作で聴く事のできるニュアンスに富み自信に満ちた彼のヴォーカルは、これまでの彼のイメージを払拭するものではないだろうか。特にライヴ・トラック3曲はパフォーマーとしての魅力も存分に発揮されており、嬉しい驚きである。そして、本作のプロモーションも兼ねたエリック初の来日ツアーが決定し、9月上旬より全国8ケ所でコンサートが行なわれる。ソロ・デビューから30年。ようやく彼に会えるのだ。彼自身も初来日を非常に楽しみにしているとの事である。どんな歌声を聴かせてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。

2002年5月   POOH (プー横丁店主/スライス・オブ・ライフ)

 

追記: 『1000年の悲しみ』をお聴きになったご感想やご意見をEメールで是非お送り下さい。

E-MAIL: slice @h6.dion.ne.jp

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